大友愛、すべては五輪のために ブランクと大ケガを経てたどり着いた今=バレーボール

田中夕子

早くから頭角を現し、常に注目を集める存在に

大ケガから復帰し、自身2度目の五輪に出場する大友 【坂本清】

 五輪に出るために戻ってきた。その過程がどれほど険しいものであろうとも。たとえ非難され、批判を受けようとも。

「この8年間、いろんなことがあったけど、今は一番バレーが好きです」
 2004年のアテネ五輪以来、大友愛(JT)が二度目の五輪に臨もうとしている。

 中学時代からスピードを生かした大型アタッカーとして注目を集め、仙台育英高を卒業後、00年にNECへ。早々に頭角を現し、ミドルブロッカーとして1年目からレギュラーを獲得すると、01年には全日本にも選出された。

 しかし、当時の大友はワガママだった。「自分が、自分が、と前に出たかったし、決めたがりでした」

 チーム戦術を生かすために、この役割に徹してほしいと言われても、自分が目立ちたかった。そのために武器であるスピードを磨いているのだから、自分が目立ってナンボ。レギュラーとして起用されないことに対して露骨に不満を示し、一時は代表からも離脱した。
 自己主張の強い選手ではあったが、シドニー五輪を逃し、アテネ五輪への出場が使命とされる当時の代表チームにとって、単にスピードだけでなくダイナミックな攻撃を仕掛ける大友の存在は不可欠だと、当時の指揮官、柳本晶一は判断した。アテネ五輪直前の最終予選から再び代表に招集、本大会ではレギュラーとして活躍し、翌年の05年、ワールドグランプリでは派手なプレーと明るいキャラクターで人気を博した大友は、常に注目を集める中心にいた。

バレーから離れ、出産を経て再び復帰

 目立ちたがりで決めたがり。自身が望んだ場所であったとはいえ、予期せぬ事態が次々に舞い込んでくる。

 自身はそれまでと変わらずに過ごしていても、街で声をかけられるのは当たり前、さらにはアイドル顔負けの写真集やDVDが発売され、インターネットにはさまざまな画像が流出する。雑音を封じようと、朝から晩までバレーのことばかりを考えた。だが、そうすればするほど余裕がなくなり、何をしても楽しくない。今この場所から、バレーボールから逃げたい。06年1月、妊娠と結婚を発表した。

「自分から勝手に離れたわけですから……。もう一度戻ってくることなど、できないと思っていました」
 
 しかし、周囲からの後押しを受ける形で08年に久光製薬で復帰を表明した。出産を経て、2年のブランクを感じさせないプレーでチームの主軸として活躍。当初は「久光で2〜3年やって、バレーを引退しよう」と思っていたが、また別の感情がわき起こるのを感じていた。

「テンさん(竹下佳江)と同じコートで、もう一度速いコンビがしたい。もう一度、テンさんと一緒に、全日本で挑戦したいと思うようになりました」

 大友だけでなく竹下も「(大友は)いてくれるだけでありがたいし、自分にとって本当に大切で、必要な選手」と公言するように、これまでの代表戦では1本目のサイドアウトを切る際に、前衛に大友がいれば、ほぼ必ずと言ってもいいほど竹下は、1本目のトスをライトへ走る大友に上げる。攻撃がパターン化されてしまうことは、データバレー全盛の現在はあまり好ましいことではないのだが、データを覆すほどの絶対的な信頼関係で結ばれてきた2人は、竹下を中心とするコンビを組み立てる以上、不可欠なラインだった。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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