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小笠原、今野ら東北出身者の復興への思い
震災から1年3カ月、スペシャルマッチ開催へ

被災地支援への機運低下を痛感

被災地の子供たちと触れ合う小笠原。「グラウンドを作りたい」と思いを強くする
被災地の子供たちと触れ合う小笠原。「グラウンドを作りたい」と思いを強くする【写真:徳原隆元/アフロ】

 東日本大震災発生から今日6月11日で1年3カ月が経過した。しかし、被災地の復興は、まだ道半ばである。東北の被災地では学校のグラウンドに建てられた仮設住宅に住む人も依然として多く、子供たちがのびのびと運動できない状況が続いている。


「東北人魂を持つJ選手の会」(通称=東北人魂)の発起人の1人であり、時間を作っては再三再四、現地に赴いている小笠原満男(鹿島アントラーズ)も、「がれき処理だって、みんながやる気になればもっと早く片付けられるはずだし、小・中学校の校庭に建っている仮設住宅で暮らす方の住居も、1年あれば別の場所にきちんとしたものを作れるでしょう。だけど、思うように進んでない。このために子供たちはスポーツができないし、運動会すらできない。これはホントに何とかしないといけないですよね」と心を痛めている。


 実際、東北に住んでサッカーに携わる関係者も、被災地支援への機運低下を痛感する日々だという。宮城県サッカー協会会長を務める塩釜FCの小幡忠義理事長は「以前に比べると募金も集まらなくなってきたし、お金が必要なところにきちんと回っていないという問題もあります」と神妙な面持ちで語る。


「家を再建できなかったり、仕事が見つからなかったりする人が多い中、東北のサッカー環境は非常に厳しい。活動休止に陥ったチームもあります。

 その一例が東北社会人サッカーリーグ1部に所属していたNEC TOKIN FC。震災でクラブが解散に追い込まれ、30人の選手が解雇されました。そのうちの5人程度をわれわれ塩釜FCのトップチームである塩釜NTFCヴィーゼで引き受けたんですが、彼らは今季の東北リーグ1部ですごい頑張りを見せてくれています。そうやってプレーを続行できている選手はほんの一握り。そういう実情が被災地には今もあるんです」(小幡理事長)

小笠原「何とかしてやらないといけない」

 小笠原や塩釜FC出身者である遠藤康(鹿島)、佐々木勇人(ガンバ大阪)は、小幡理事長のところにたびたび顔を出しては、協力して支援活動を行っている。佐々木などは震災発生当初、塩釜市内から車で20分ほど東に行った七ヶ浜町が巨大津波で流された様子を目の当たりにし、思わず涙を流したという。


 そんな実体験が彼らを奮い立たせるのだろう。東北人魂として被災地に足を運び、子供たちを呼んでサッカーをしたり、コミュニケーションを取ったりしながら、希望や勇気を与えようとしているのだ。


 こうした活動から教えられることは非常に多いと小笠原は言う。

「被災地の子供たちと何度か触れ合ったんですけど、『これからも頑張って練習するんだぞ』って話したら、『やりたいんだけど、練習する場所がなくて練習できないんです』って寂しそうに話す子がいた。それを真っ先に何とかしてやらないといけないですよね。人の生活や住居が優先されるのは当然だけど、スポーツが後回しにされるのはどうかな。『グラウンドは3年後に建て直します』っていったら、小学生は中学生、中学生が高校生になってしまう。その空白の3年間でスポーツが消えてしまうかもしれない。そういうことをもっと多くの人に知ってほしいんですよね」と、彼は実情をあらためて訴えた。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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