シャラポワ初の全仏決勝進出を支えた日本人トレーナー=テニス 世界ランク1位復帰と見据えるキャリアグランドスラム達成

内田暁

肩のケガと102位からの復帰

全仏オープンで決勝に進出したシャラポワは世界ランキング1位復帰が確定。全仏に優勝すれば、生涯グランドスラムを達成する 【Getty Images】

 常に強く、常に勝利に飢えていて、常に美しくゴージャス――。
 世間に流布するそのようなマリア・シャラポワ(ロシア)のイメージからすれば、彼女が「再び世界のトップで戦えるのか……いや、ツアーに戻って来られるのかどうかすら分からず、不安に襲われる日々を過ごしていた」と言ったなら、不可解に感じる人がいるかもしれない。

 だが、その言葉にうそはない。
 手術を要する肩のケガのため、約10カ月もツアーを離れることを強いられたのが、4年前。そこから彼女は、地道で泥臭くもがく様をきらびやかなベールで覆い隠し、今いる場所へと、再び這い上がってきたのである。

 2012年全仏オープンで決勝に進出したシャラポワは、9日に行われる決勝の勝敗を待たずして、翌週月曜日に発表される最新ランキングで世界1位になることが確定した。

 思えば彼女が最後に世界の頂点にいたのは、4年前のこの場所……08年パリのローランギャロスである。その年、全豪オープンを制するなど好調だったシャラポワは、キャリアグランドスラム(4大大会全てのタイトルを取ること)を懸けて、第1シードとして全仏に挑んでいた。だがその夢は4回戦敗退で閉ざされ、さらに続くウィンブルドンでも、早期敗退を繰り返す。その後、肩の深刻な負傷が明らかになったシャラポワは、同年8月以降はツアーを離れることを余儀なくされたのだった。

 出場を心から望んだ北京五輪や、前年に優勝した09年全豪オープンなど多くの大会が目の前を通り過ぎ、シャラポワが肩の手術を終えて再びローランギャロスに帰ってきた時、1年前はテニス界の頂点に用意されていた席は、世界102位の末席に落ちていた。

変化を恐れない勇気

 それから3年――。3つのグランドスラムタイトルに輝き、世界1位にまで上り詰めたにもかかわらず、シャラポワは栄光も含めた過去と決別し、ケガの悪夢を払拭(ふっしょく)するかのように、多くのものを変えてきた。

 10代のころから彼女を指導してきたコーチを解雇し、11年から新たな指導者を雇った。常にツアーに帯同していた父親をチームから外したのも、このころである。契約ラケットのメーカーも変え、そして肩の負傷の大きな要因であるサーブのフォームを、何度も変えてきた。
「いろいろな変化に適応していくことは、プロのアスリートとして、最も難しいことの1つ」

 ツアーで戦う全てのライバルや同胞たちを代表するように、シャラポワは言う。
「たとえうまくいっているときでも、選手は常に『このままずっとうまくいくはず』と信じたい気持ちと、『もっと良い方法があるのでは』という懐疑の間で揺れるものだわ」
 そして彼女は、変えられるものを変える勇気を持ち、変えられないものは諦念とともに受け止め、そして、それらを見分ける聡明さで弱肉強食の世界を勝ち上がってきた。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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