最初で最後の兄弟タッグが引退試合に 征矢匠、アゴの状態が完治せずに5月31日付けで引退

全日本プロレス

内田雅之社長(右)とともに記者会見に臨んだ征矢匠 【全日本プロレス】

 5月28日(月)、都内にある事務所で、全日本プロレスが記者会見を実施。昨日の後楽園ホール大会の試合後に引退を表明した征矢匠が、内田雅之社長同席のもと、改めて引退を決断した経緯を語った。
 昨年の3月に兄・学と対戦した際にアゴを骨折した匠。その後、約5カ月間の長期欠場を余儀なくされた。8月には復帰し、その後は諏訪魔と近藤修司のチーム・ディストラクションに加入。諏訪魔のパートナーとして、『世界最強タッグ決定リーグ戦』やアジアタッグ王座挑戦など、最前線で闘っていたが、アゴの具合は治るどころか、悪化する一方だった。

無念のドクターストップで引退という苦渋の決断

無念のドクターストップで引退を余儀なくされた征矢匠(右)。兄・学(左)とは最初で最後の兄弟タッグとなった 【t.SAKUMA】

 内田社長の説明によると、匠の場合、3箇所を骨折しており、現在も5箇所をプレートで固定。試合を終えるたびに痛みを発しており、食事も試合後は硬い物は無理で、豆腐しか食べられないような状況だったという。痛みをなくすにはアゴに入っているプレートを外すしかないということだが、もしこの処置を行った場合、「衝撃に耐えられず、プロレスを続けるのは無理」というのが医師の下した診断だった。この結果を受けて、匠も苦渋の決断。5月31日付けで引退することになった。

「11〜12月ぐらいから調子が良くなくて、3月にレントゲンを撮ったんですが、プレートが欠けていて、外さないといけない状態になり、それでドクターストップがかかりました。短い期間でしたけど、充実したプロレス生活を送れたと思っています。悔いはありません」と語った匠。『チャンピオン・カーニバル』中にヒザを負傷し、欠場していた期間に、両親や兄に相談。悩んだ末に将来のことを考え、引退を決断したという。

一番の思い出は3.20両国でのアジアタッグ戦

一番の思い出は諏訪魔とタッグを組み、関本&岡林組と対戦したアジアタッグ戦だ 【t.SAKUMA】

 27日の後楽園大会で最初で最後のタッグを結成した兄・学は「自分の選んだ道なら、応援する」と後押しし、それに対して「ありがたいですね」と感謝の気持ちを述べた匠。一番思い出に残っている試合は、3.20両国大会で行った関本大介&岡林裕二とのアジアタッグ戦だ。「短いキャリアでしたけど、両国という大舞台でタイトルマッチを闘えたということを自信にして、頑張っていきたいです」と今後の人生の励みにするつもりだ。
 今後の予定は未定ということだが、「ゆっくり時間をかけて見つけようと思っています」と前向きな匠。「将来有望な人材だったので、全日本としてもダメージが大きい」と語った内田社長も、「うちにはスポーツジムもありますし、門戸は広げると伝えています」と語り、必要とあらばバックアップしていくつもりだ。

 なお、改めての引退セレモニー等は行わない予定。「ヒザも完治してないですし、昨日の試合もできるかどうかっていう状態でしたから。最後だということで兄弟タッグを組んだんですけど、あれがお別れの試合だと認識してくれれば」と、最初で最後の兄弟タッグが引退試合ということになる。

 最後に「短い間でしたけど、ありがとうございました」とファンに感謝の言葉を述べた匠。第二の人生に向けて、一歩を踏み出した。
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