猫ひろし問題で考えるアスリートの国籍と五輪=為末大インタビュー
アスリートの国籍変更、陸上界の現状について、為末大に話を聞いた 【スポーツナビ】
国際陸連が出した警告
陸上競技界では、かねてから選手の国籍変更が盛んに行われていた。とりわけ、オイルマネーの潤沢な中東諸国がケニアやエチオピアなどアフリカの発展途上国からレベルの高い選手を集め、巨額の報酬と国籍を与えて自国の代表にするケースが相次いでいた。現役アスリートとして長らく陸上界を見てきた為末が先月、twitterで「陸上選手はこの手の話に慣れてしまっている」と発言して注目されたのは、そうした事情があるからだ。
「選手の国籍変更は20年くらい前からありましたからね。陸上界の人間にとっては、またか、という感覚なんです。ただ、『倫理的にどうなの?』という気持ちは、僕ら選手の中にずっとあって、中東に国籍を変えたナイジェリア人選手がアジア記録を取ったりすることにフラストレーションがたまっていた。でも、それも一通り済んじゃった感じで、麻痺(まひ)しているというのが正直なところです」
そんな中で為末が注目するのは、国際陸連がこの時期に具体的な規制の動きを見せたということだ。
「(選手の国籍変更は)アテネのときも北京の時もあったのに、なぜ今なのか。そっちのほうが興味深いですね。国際陸連の本当のターゲットは金メダルを取るような力のある選手が相次いで国籍を変えてしまうケース。だから、猫さんのような分かりやすい例を引き合いに、国や選手に警告を発したというのが僕の印象です。きっとこれからは国策で選手の国籍変更を進めるような国に対し、何かしらの形で規制をかけていく、そういう方向に向かう気がしています」
成功と愛国心の間で揺れる選手の葛藤
ケニアからカタールに国籍変更したサイフ・サイード・シャヒーン(右)。兄はケニア国籍のまま、両者は対決した 【Getty Images】
「僕もうんと考えたことがありますけど、自分の国への思いがある一方で、選手としては恵まれた練習環境で、いけるところまでいきたいという気持ちが当然あるでしょう。でも、その選択は難しい。以前、ある大会の3000メートル障害で、弟(編注:サイフ・サイード・シャヒーン)はカタールに国籍変更し、お兄ちゃん(同注:アブラハム・チェロノ)は愛国心を取ったケニア人兄弟が激突したんです。それを見て、これは究極だなと思いました」
スタートラインに並んだよく似た顔の、片方はカタールのユニホーム、もう片方はケニアのユニホームを着た兄弟を見ながら、為末は英国人選手とこんな会話をしたそうだ。「自分ならどちらの道を選ぶか」。英国人の彼は「僕ら選手は英国とともにある」と愛国心を主張したという。だが、貧困国で家族がリッチになり、海外遠征費も合宿費の心配もいらないとなれば、決めかねてしまうだろうというのが為末の感想で、はっきりとした答えは出なかったという。
では今、自身が多額の報酬と国籍を用意され、ロンドン五輪の出場枠に手が届くとしたら?
「うーん、何だかんだ言っても、僕は広島の田舎で育った古いタイプの人間ですからね。国籍が変わることには抵抗感があります。五輪に出ることと、日本人でいること、この2つを天秤にかけたら、日本人でいることのほうが僕にとっては重いですね」