「小粒な」フランス代表に求められるもの=ドイツ戦で急浮上したドゥビュシーとジルー

木村かや子

古株と新参入選手の出来を分けたもの

ブラン監督が挙げたユーロでの目標は「まず1試合に勝つこと」。フランスに求められることは、適度な謙虚さだ 【Bongarts/Getty Images】

 しかし、もちろん1試合の失敗でダメだと決め付けるのは軽率だ。リベリー、ナスリのハイレベルでの経験が、ユーロ(欧州選手権)本戦のような勝負の懸かった試合で違いを生むというのは大いに考えられる。この試合を見て感じたのは「精神面での姿勢の違いは、プレーにも大きな影響を与える」ということだった。思うに、古株と新参入選手の出来を分けたのは、モチベーションの差ではないだろうか。

 ドゥビュシー、カバイェ、バルブエナ、またジルーはいっそう、ユーロに向かうメンバーに入り込めるか否かの瀬戸際にあり、目に見えて「この試合でアピールしなければ次はない」という気迫に満ちていた。特にジルーは、攻撃で奮闘したばかりか守備にも精力的に参加し、ドイツの猛攻に押し込まれた時間帯には、長身を生かしたゴール前のクリアで守りでも貢献。相手のシュートを阻もうと、ロリスと激突せんばかりのスライディングも見せている。

 とはいえ、何が何でもアピールしなければならない試合の中でも、個人プレーに走らず、常にチームプレーの中で力を発揮して見せたことは評価に値する。クラブで受けた教育ゆえか、新顔としての謙虚さゆえかは分からないが、今の「小粒な」フランスに必要なのは、この精神であろう。常に100%のGKロリスを例外に、選出当確とされる選手たち3人(リベリー、ナスリ、エムビラ)のプレーにどこか気迫が足りなかったのは、偶然ではないのかもしれない。

ユーロでの序列にも変化が

 この試合以来、ドゥビュシーとジルーは今やユーロの代表入り確実となった、とメディアは断言している。ドゥビュシーの場合、アーセナル所属というネームバリューのおかげもあって常にスタメンだったサニャから、レギュラーのポジションを奪ったとさえ信じられているのだ。

 トップFWに関しては、代表でも要所で結果を出しているベンゼマが変わらず階級の最上段にいる。対アルバニア戦(ユーロ予選)と対米国戦(親善試合)のゴールで株を上げたロイック・レミーは、よりサイドアタッカーだが、右も左もトップもできるため、彼も当確の呼び声が高い。しかしベンゼマの2番手をめぐる争いでは、ケビン・ガメロ、オアロー(共にパリ・サンジェルマン)を追い越し、ジルーが最下段から2位に浮上。レミーもここに含めれば、アタッカーの残り座席は最大でも1となる。

 守備陣では、メクセスの故障からの復帰で、一時不安定だったセンターバック・ペアに安定感が戻ってきた。ラミはプレー面でメクセスと相性が良いようで、アタックのタンデム(直列二頭立の馬車の意味)以上に意思疎通が重要とされるこの部門は、このペアでほぼ決まりと見られている。反対に、左サイドバックに定着しかかっていたアビダルは、深刻な病気に倒れ、肝臓移植の手術を受けることに。手術後は、患部への激しい衝撃を避けることが必須であるため、ユーロはもちろん選手復帰さえ難しいと言われている。彼が普通の生活ができるまでに回復することが最も重要だが、これはパトリス・エブラよりもアビダルを好んで起用してきた指揮官にとって、チーム構成という意味でも悲しいニュースだった。

 プレーがぱっとしないからといって、リベリーとナスリが招集メンバーから外れる可能性は極めて低い。理論的に、彼らが中心選手であることには変わりないが、不動のレギュラーと呼ばれたいならば、彼らもネームバリューに見合う力を見せるよう、気合を入れ直す必要があるだろう。いずれにせよ、GKロリス、DFメクセス、中盤中央のナスリ、そしてFWのベンゼマと、若い時から才能を認められ、ハイレベルのサッカーを知っている選手たちが布陣の中心線を形作っているのは心強いことではある。まだプレーの背骨を形成しているとは言えないものの、数カ月の間にどうコンディションが変わっていくかは分からないものだ。

 名前が実力を上回った、ワールドカップ・南アフリカ大会から学んだことは大きい。リベリー、ナスリ、ベンゼマら現フランスの“大物”が「才能はうそをつかない」という格言の正しさを証明するには、傲慢(ごうまん)さより適度な謙虚さのほうが有効であるように思う。余談だが、ブラン監督が挙げたフランス代表のユーロでの目標は「まず1試合に勝つこと」と、実に謙虚である。

<了>

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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