花巻東・大谷が“一流”である2つの理由=どん底をバネにさらなる高みへ

田尻賢誉

目には見えづらい大谷のすごさ

昨夏の甲子園はケガを抱えながらも、ストレートは150キロを計測した大谷 【写真は共同】

 一流と二流を分けるもの。
 それは、常に安定した結果を出せるかどうかだ。
 今日はよかった。今日はダメだった。ではなく、今日も、明日も、あさっても同じような結果を出し続ける。それができる人こそが、ホンモノの一流と言える。
 そして、それを実現させるために必要になるものがある。
 それは、我慢と修正能力。
 高校生にとって身につけるのが困難なこの二つを持っているのが、花巻東・大谷翔平(3年)だ。193センチ、85キロの身体や150キロの球速に注目が集まりがちだが、大谷のすごさは目に見えづらい部分にある。

ケガをしたことで身に付けた精神的な我慢

 我慢――。

 大谷ほど、身をもって経験した高校生はいないだろう。昨夏の岩手県大会前に痛めた左足が回復せず、秋の登板は練習試合を含めてゼロ。岩手県大会は代打のみの出場だった。東北大会では準々決勝から3番・レフトでスタメン復帰。左足は本人も「監督さんに投げたいとアピールしました」と言うぐらいの状態だったが、佐々木洋監督はマウンドに上げなかった。しかも、事実上のセンバツ切符がかかった準決勝の光星学院戦では7回まで8対6とリード。あと6人を抑えれば……という状況だったが、登板できず、レフトから逆転されるのを見守るしかなかった。

 大谷の負った左足の骨端線損傷は成長軟骨が折れるという成長の一環の故障。治すには、休養をとるしかない。そこで大谷は、同級生が多く生活する学校近くの第一寮から、300メートル離れた下級生主体の第二寮へと移った。洗濯を早めに済ませ、夜遅くまで友人の部屋でダラダラ過ごすことなく、睡眠時間を確保するためだ。朝食は第一寮で全員そろって食べるため、朝は早く起きなければならず、雪道の移動も加わるが、それに耐えた。

 投げたいのを我慢し、同級生とじゃれあう時間も削った。年が明け、左足はようやく投球練習を再開できるまでの状態に戻った。
「ここまで我慢してきて、また(ケガを)やったら、自分も悔しいし、チームとしても悔しい。自分のためだけじゃなくて、チームのためにも治すことが先決だなと。一番やりたい野球で、これだけ我慢したのは初めて。精神的に我慢できるようになったと思います」

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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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