急成長が光った大型ボランチ扇原貴宏=「遠藤保仁の後継者」になれるか?

元川悦子

全13得点中7点に絡む大活躍

バーレーン戦、日本に待望の先制点をもたらしたのは飛躍を遂げた扇原(左)だった 【写真:北村大樹/アフロスポーツ】

 バーレーンを崩しきれず、こう着状態のまま前半を0−0で折り返した日本。背番号3をつける20歳の大型ボランチ・扇原貴宏は「相手が引いて真ん中を固めていたので、もうちょっとボランチが前に行ってもいいのかな……」と考えつつ様子をうかがっていた。そして、絶好のチャンスが後半10分にようやく訪れた。

 濱田水輝の縦パスを受けた左サイドバック・比嘉祐介が、持ち前のスピードを生かして左に流れた原口元気にボールを出した。扇原はこの時、相手DFが下がったのを見逃さず、ペナルティーエリア内に一目散に突き進む。そして利き足ではない右足を思い切り振り抜いた。右足でのゴールは2010年のプロ入り後はもちろん、ユース年代でも記憶にないという。それでも入る時は入るのがサッカーだ。次の瞬間、ネットが激しく揺れ、日本に待望の先制点がもたらされた。

「前半は僕が引いて比嘉君が高い位置を取って元気が中に入ることが多かったんで、元気の特徴をあまり生かせなかった。後半に入ってからは簡単に(ボールを)預けてサイドで仕掛ける形をやろうと話していたんです」と扇原が言うように、原口が外に開いたことで、バーレーンの強固なブロックが崩れ、ゴールが入った。これは特筆すべき点だろう。

 扇原と原口は同じ20歳。ユース年代から共に代表で戦った仲間で、お互いの特徴を熟知していた。しかもそろって出場するはずだった10年AFC U−19選手権(中国)に出られなかった。原口はチーム事情で招集見送りとなったが、扇原の方は右ひ骨病的骨折で摘出手術を受けリハビリを強いられていた。彼ら2人を欠いた布啓一郎監督率いるU−19日本代表は準々決勝で韓国に2点をリードしながら、まさかの逆転負けを喫し、2大会連続で世界を逃した。

「あの時はテレビで見ることしかできなくてすごく歯がゆい思いをした。次の五輪は絶対に出たいと強く感じました」と語気を強める通り、世界大会に出ることは大きな夢だった。それを自らのゴールで引き寄せた扇原は、今回のロンドン五輪アジア最終予選で最も成長した選手といっても過言ではない。2月5日のアウエー・シリア戦(アンマン・ヨルダン)ではベンチスタートを強いられたものの、それ以外の5試合で先発。昨年11月のアウエー・バーレーン戦(マナマ)での大津祐樹の先制点を筆頭に計4アシスト。起点になったゴールを含めると、全13得点中7点に絡む大活躍を見せている。

 劇的な飛躍を遂げた大型ボランチの1点目を機に日本の攻撃が動き出し、清武弘嗣の追加点も生まれた。

 2−0でタイムアップを迎えた時、これまでの重圧から解き放たれた選手たちは、聖地・国立競技場のピッチ上で喜びを爆発させた。96年アトランタ五輪から続く5大会連続の本大会出場権を獲ったことで、扇原自身も「最低限のノルマを果たした」と心から安堵(あんど)していた。

それほど重要ではない存在から不可欠な存在へ

 184センチの恵まれた体格とスケールの大きな展開力、精度の高い左足のキックを備え、今では「遠藤保仁の後継者候補」とまで評されるようになった扇原だが、昨年6月にロンドン五輪予選がスタートしたころはそれほど重要な存在ではなかった。関塚隆監督は10年11月のアジア大会(広州・中国)優勝の原動力となった山村和也と山口蛍のコンビをボランチの軸と位置づけていたからだ。ジュビロ磐田でコンスタントに試合に出ている山本康裕もいて、Jリーグで実績ゼロの扇原が入り込む余地は皆無に近かった。

 2次予選・クウェート戦直前に湘南ベルマーレと練習試合をした際、北京五輪代表で指揮を執った反町康治監督(現松本山雅FC)が「扇原はボランチやセンターバックでいろいろ試されていたけど、当落選上にいる証拠だね」と苦笑いしていたが、その推察通りに2次予選ではベンチ外を突きつけられる。豊田でもクウェートでも、彼はスタンドに座らざるを得なかった。

「試合を外から見ることしかできず、ずい分長い間サッカーができなかった気がしました。悔しかったのはもちろんですけど、その悔しさを次につなげないと意味がない。そう思ってセレッソに戻ってから、意識を高く持ってしっかり練習することを心掛けました」と扇原は振り返る。

 この真摯な姿勢が、若手抜擢(ばってき)に長けたレヴィー・クルピ前C大阪監督の琴線に触れたのだろう。彼は8月17日の鹿島アントラーズ戦でJリーグデビュー。先発4試合目となった8月25日の浦和レッズ戦では初得点も挙げ、一気に指揮官の信頼をつかんだ。10月のナビスコ杯・浦和戦でスタンドから投げ込まれたペットボトルを投げ返して公式戦2試合出場停止処分を食らい、頭を丸めるアクシデントもあったが、これに屈することなく、扇原はシーズン終盤までコンスタントに出場。大きな自信と精神的余裕を手に入れたようだ。

 ちょうど同じころ、関塚ジャパンのキャプテン・山村が左足第5中足骨を骨折。9月21日のマレーシア戦(鳥栖)以後、最終予選の大半を棒に振ることになった。山村が離脱した五輪代表で、中盤でタメを作りながらチーム全体を落ち着かせられるのは扇原しかいない。そんな事情もあって、指揮官は背番号3を中盤の要に指名。前半戦の山場だった11月2連戦では、期待に応えて巧みにゲームをコントロールした。アウエー・バーレーン戦では2得点を演出し、ホーム・シリア戦(東京)でも濱田の先制点をアシストする精度の高い右CKを蹴るなど、得点もおぜん立てした。上昇気流に乗った彼はこの時点でチームに不可欠な存在になったと思われた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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