内田篤人が初めて直面する過酷な現実=正念場を迎えたエリート右サイドバック

元川悦子

ウズベク戦を復活の足がかりにしたかったが……

代表戦をきっかけにしたいと考えていたが、ウズベク戦は失点にも絡む最悪の結果に。試合後は悔しさをにじませた 【写真:杉本哲大/アフロスポーツ】

 16歳のころからすべての年代別代表で活躍し、2006年の鹿島アントラーズ入り後はJリーグ3連覇と07年天皇杯の4冠を達成。岡田武史前日本代表監督に才能を高く買われ、19歳からA代表に定着するなど、エリート街道をまい進してきた男が、ケガや体調不良以外の理由でベンチ外になるなど、過去には考えられなかったことだ。10年ワールドカップ・南アフリカ大会でも出場機会なしに終わった経験はあるものの、少なくともベンチには座っていた。

 われわれメディアには「試合に出ている時も出ていない時も集中して練習するしかないですからね。いろいろ考えても練習をしっかりやるしか答えはないし。簡単っちゃ簡単ですけどね」などと淡々とした物言いをする内田だが、3試合連続ベンチ外の衝撃と屈辱は計り知れないものがあったに違いない。

 何とか泥沼から抜け出したい……。そのためにも、久しぶりの代表戦である2月29日のウズベキスタン戦をいいきっかけにしたいと彼は考えていた。日本に戻って原点回帰すれば、復活への足がかりをつかめるかもしれないと希望を持つことは、サッカー選手なら当然のことだろう。

 2月中旬に話した時も「今月末、代表に呼ばれたら、試合に出ていない状態で帰ることになる。そういうのは初めての経験だけど、それも勉強だね」と言っていた。体調万全でない中、代表戦に出るのはリスクがある。しかも今回は前日帰国。よりハードルは高いが、やるしかないと覚悟を決めていた。

 28日の前日練習後も「日本に戻るとホッとする。ドイツの生活はいつも緊張しているから、やっぱり全然違う。いつも思っていることだけど今が『勝負時』なのは確か。練習から追い込んでいるしね。今回はキッチリ試合に出て勝って帰ること。それができれば一番早い」と新たな流れの到来に期待を寄せていた。ドイツで課題とされる守備面についても「ウズベキスタンと9月にアウエーでやった時には、シュートブロックに何回も行けていたんで、そういうのを何回か出せるといい。今回はボールを持つ時間が長くなると思うから、うまく攻守のバランスを見ながらプレーしたい。向こうはカウンターを狙ってくるし、守りを大事にしながら前へ行ける時は行きたいと思っています」と意識を高めていた。

失点に絡んだのは痛かった

 しかし、結果的にウズベキスタン戦は彼自身、チームにとっても最悪の形になってしまった。内田は体力面の不安を考えて抑え気味にスタートしたが、前に陣取った藤本淳吾とのプレー経験が少なく、連動した動きがあまりできなかった。「僕はどっちかというと、周りを使って、使われながらみたいなタイプなんで」と自己分析する通り、シャルケでもファルファンと組んだ時は鋭いオーバーラップとクロスを随所に披露するが、縦関係が変わると難しい部分もあるのだろう。

 後半になって岡崎慎司が前に来てからはやっと本来の攻撃的な部分が出てきた。本人は「走っていくうちにコンディションが上がっていく感じはあった。試合に出ていないことより、前日に帰国してすぐ試合だったことが大きかったのかな」と話したが、やはり試合に出てこそ内田らしい運動量とスピードが出る。本人もサッカー選手は試合に出てナンボ、とあらためて感じたのではないか。

 ただ、やっと調子が上向きかけたところで失点に絡んだのは痛かった。ウズベキスタンのカウンターからの得点はもちろん内田だけのせいではないが、ハサノフがクロスを上げた瞬間、ナシモフの背後への飛び出しに対応しきれなかったのは事実だ。研究熱心なステフェンス監督がこのシーンを見て、フライブルク戦の先発起用を断念した可能性もあるだけに、本当に残念だった。

「サッカーはこういうもん。勝てればいいし、負けたらダメだし。向こうもコンパクトにやっていたし、集中していたし、モチベーションも高かった。僕もチームに帰ってまたしっかりやるしかない。一生懸命やるだけですから」と内田は自分に言い聞かせるように語ったが、再浮上のきっかけをつかみきれなかった悔しさがにじみ出ていた。

 そんな状況でも、次の試合はすぐにやって来る。8日にはヨーロッパリーグ(EL)のトゥエンテ戦があり、週2回ペースの試合が続く。2月19日のボルフブルク戦でベンチ外生活に終止符が打ったのも、ELとの過密日程の最中だっただけに、今は大きなチャンス。負傷したヘベデスの状態も定かではなく、長期離脱を強いられるようなことがあれば、内田への期待は確実に大きくなるはずだ。ここで出場機会を与えられ、目覚ましい働きをすれば、ネガティブな目線で見ているステフェンス監督の評価も変えられるかもしれない。

レッジーナ時代の中村俊輔に重なる

 残り2カ月となった今シーズン、その終盤を実りあるものにすべく、内田は今、静かに燃えている。
「今季はケガもあって苦しい時期が続いているけど、残りあとちょっとだし、ここから追い込みをかけたい。そうじゃなきゃ、頑張ってきた意味がないからね。南アの時は試合に出られないと分かった時点でどこか気持ちが切れちゃった部分があったけど、今は1つ1つのことでへこまなくなったし、長い目で見られるようになったかな。今は確かに流れも来てないし、耐えて耐えてって状況だけど、ここっていう時に力を出せれば全然問題ないから。あとは僕の頑張り次第だと思います」

 努めて前向きになろうとしている。その姿はかつてレッジーナでプレーしていた当時の中村俊輔に重なる。俊輔も3シーズンで5人も指揮官が変わり、そのたびに違った役割を求められた。ケガもあったし、試合に出られないことも多かった。「欧州に行けばそんなの当たり前。そこで何を見つけるかがすべて」と、かつて日本代表の右サイドでコンビを組んだ先輩も言っていた。サッカー選手が高い壁にぶつかるのはある意味、必然。それを越えなければ希望に満ちた未来が訪れないことを内田自身、熟知しているはずだ。

 日本代表でも酒井宏樹という才能ある若者が急成長しているだけに、ここで踏みとどまれるかどうかが内田の今後を大きく左右する。シーズン終盤にどこまでコンディションを戻し、出場機会を増やせるか……。すべてはそこに懸かっていると言っても過言ではない。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント