内田篤人が初めて直面する過酷な現実=正念場を迎えたエリート右サイドバック

元川悦子

代表戦から戻っても出場機会はなし

シャルケでの内田はステフェンス監督の信頼を勝ち取れず、出場機会が激減。ドイツでの2シーズン目は苦しい戦いが続く 【Bongarts/Getty Images】

 ザックジャパンがウズベキスタンにホームでまさかの苦杯を喫した3日後。シャルケ04の内田篤人はアウエー戦に挑むため、ドイツ南西部の国境の町、フライブルクに赴いていた。2月26日の前節、バイエルン・ミュンヘン戦に敗れ、首位ドルトムントの背中が遠くなったシャルケにとって、3日の最下位フライブルク戦は絶対に負けられない一戦だった。

 内田にとってもこの試合は大きなチャンスだった。DFクリストフ・メッツェルダーが負傷したため、現地メディアでは「内田が右サイドバックに戻るだろう」と報じられていたからだ。フーブ・ステフェンス監督は最近、ベネディクト・ヘべデスとマルコ・ヘーガーのいずれかを右サイドバックに起用していたが、へべデスを本職のセンターバックに戻し、ヘーガーをボランチ、内田を右を配置するという見方が有力視されたのだ。

 迎えた当日、内田はベンチを温めていた。指揮官はボランチ起用の多かったジョエル・マティプをセンターバックに下げ、通常通りへべデスを右で使う決断をした。「アウエーではいつも守備的。勝てる気がしない」と内田はやや不満げなコメントを漏らしたことがあるが、ステフェンス監督は今回も「守り第一」でいきたかったのだろう。

 ところが、後半開始早々にへべデスが負傷。今度こそ内田に出番が巡ってくると思われた。本人も少なからず期待したに違いない。だが、指揮官は交代要員にMFルイス・ホルトビーを指名。ホルトビーを中盤に入れ、ヘーガーを右に回すという判断を下した。この重要局面でのさい配は、内田の現状がいかに厳しいものかを強くうかがわせるものだった。

 結局、シャルケは最下位相手に苦杯を喫し、優勝争いから大きく後退した。来季チャンピオンズリーグ(CL)出場権獲得さえ危うくなってきた。そんなチームの苦境をピッチの外から見守るしかない悔しさはいかばかりだろうか……。

起用されない現状を納得する部分も

 2010年夏にシャルケへ移籍した内田のドイツ1年目は順風満帆だった。ボルフスブルクで長谷部誠を指導し、日本人の献身的で真面目な気質を熟知していたフェリックス・マガト監督は当初から内田を重用。ミスがあっても、彼の攻撃的なスタイルを買って、コンスタントに起用し続けた。
「マガトの練習がきつくて、鹿島時代にはない追い込み方だったから、とりあえず何も考えずに必死にやってました。余計なことを考えず素直に取り組んでたのが良かったと思う」と本人も振り返る。CLベスト4進出、ドイツカップ制覇に貢献するなど、異国最初のシーズンは華々しい活躍を見せた。

 そのマガト監督が昨年3月、ブンデスリーガでの成績不振によって解任されたことで、内田の歯車が微妙に狂い始めた。後を引き継いだラルフ・ラングニックは右サイドの守備を不安と考えて、ヘーガーを補強し、今季開幕戦はそのヘーガーを抜てきした。それでも内田は8月28日のメンヘングラッドバッハ戦でポジションを奪回。9月に入って徐々に先発に定着しつつあった。ラングニック監督が体調不良から突如として辞任することになったのはそんな矢先の出来事。そして現指揮官のステフェンス監督がやって来た9月27日当日に、内田は右太もも肉離れを起こしてしまった。

「ホント、タイミングが悪かった。11月に復帰して試合に出してもらったけど、なかなか調子が上がらない。いい時は自分のイメージ通りにボールも蹴れるし止められる。だけど1回ケガして、体も動かないし、ボールも止まらない、蹴れないって中で、ズルズルいって冬のオフに入ってしまった。監督はおれの一番良くないところを見てますね……。コンディションのことを言われたこともあるし、おれを使わないのがすごくよく分かる」と、本人も現状を納得できる部分はあるようだ。

 かつてない悪循環から脱するため、1月のカタールキャンプでは懸命に追い込んだ。屈強な肉体を持つ外国人選手に勝つため、隠れて筋トレにも励んだ。そのかいあって1月21日のウインターブレーク明け初戦のシュツットガルト戦ではスタメン復帰。ここから巻き返せそうな前向きなムードも漂ったが、続く28日のケルン戦は前半だけでベンチに下げられる。これが2月4日のマインツ05戦、11日のメンヘングラッドバッハ戦、16日の欧州リーグ(EL)のプルゼン戦と3試合連続ベンチ外が続く大きな契機になったと言われる。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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