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大迫勇也が最終予選で味わった“生みの苦しみ”
マレーシアでエースFWが示した存在感

大迫の不発が日本苦戦の一因とも

マレーシア戦、左サイドを強引に突破する大迫。これまでのような迷いは見られなかった
マレーシア戦、左サイドを強引に突破する大迫。これまでのような迷いは見られなかった【写真は共同】

「最終予選に入ってからの4試合はゴールに向かう姿勢が足りなかった。特にこの前のシリア戦なんかは焦った部分があった。焦りが出るといいところが全然出なくなる。プレーの内容的にはそこまで悪くなかったけど、あとはゴールっていうところだけ。次はホントにゴールを狙いたいです」


 ロンドン五輪アジア最終予選の正念場となったマレーシア戦(クアラルンプール)を翌日に控え、大迫勇也はゴールへの意欲をみなぎらせていた。

 9月の最終予選初戦のマレーシア戦(鳥栖)で1トップを任されてから4試合すべてに出場しているが、ゴールを奪えないまま、ここまで来てしまった。体を張って攻撃の起点を作ったり、相手マークを引きつけたり、前線からボールを追う守備など、ほかの役割は献身的にこなしてきたものの、FWにとって最大の仕事であるゴールがどうしても取れない。厳しい現状に、本人も不完全燃焼感をぬぐえなかったに違いない。


 大迫にチャンスらしいチャンスがなかったのなら仕方ないが、実際にはほぼ毎回のように決定機は訪れていた。11月のシリア戦(東京・国立)で濱田水輝からロングフィードを受け前線でフリーになりながら、味方の上がりを待つ選択をしてフィニッシュに持ち込む機会を逃した場面、あるいは5日のシリア戦(アンマン)で山田直輝のスルーパスに反応して抜け出し、放った右足シュートが枠をかすめたシーンなど、1点を奪える機会は確かに少なくなかった。エースたるべき選手がそれを逃し続けたことが、日本苦戦の一因になったと見ることもできる。

ゴール前に突進する姿に迷いは一切なかった

 1996年アトランタ五輪以降、4つの五輪代表チームを振り返ると、必ずと言っていいほど存在感のあるFWがいた。アトランタ世代は城彰二が大黒柱を担い、シドニー世代は最終予選で平瀬智行、本大会では高原直泰がブレーク。アテネ世代も最終予選で高松大樹が重要なところで点取り屋の役割を果たし、大久保嘉人も予選・本大会の両方で活躍した。そして北京世代も日本国籍を取得した李忠成ががけっぷちに立たされたベトナム戦で2発とインパクトの大きな仕事をしている。


 翻って現在のU−23日本代表を見た時、最終予選4試合の得点は、東慶悟と大津祐樹がそれぞれ2点、山崎亮平、濱田、永井謙佑が1点とかなり分散されている。関塚隆監督に絶大な信頼を寄せられ、1トップに起用され続けている大迫が無得点というのはどうしても気になるところ。さらに今回は清武弘嗣、山崎、山田、大津といったアタッカー陣がそろって不在なだけに、大迫への期待はこれまで以上に高かった。


 本人もすさまじい危機感を持ってピッチに立った。それを象徴したのが、開始5分の強引なドリブル突破だ。左サイドに開いて比嘉祐介から縦パスを受け、一気に反転して一目散にゴール前へ突進する姿に、これまでのような迷いは一切、感じられなかった。扇原貴宏のクロスに下がりながら頭を合わせた11分のビッグチャンス、齋藤学の横パスをもらって右足で浮き球シュートを放った31分の決定機など、「どんな形でもいいから1点を取りに行く」という泥臭さが随所に見て取れた。マレーシア戦の起爆剤として使われ、鋭い動きとキレを見せた原口元気と齋藤に刺激を受けた部分もあったのかもしれない。


 強い思いが結実したのが、前半終了間際の2点目だった。FKから扇原の鋭いクロスがゴール正面に飛び、そこに走り込んだ大迫がドンピシャのタイミングで執念のヘッド。ついにネットを揺らすことに成功した。「ディフェンスが対応しにくい速いボールをGKとDFの間に蹴ろうと思ったところに大迫君が入ってきてくれた。うまく合わせてくれたと思います」と扇原は大迫に感謝していたが、のどから手が出るほど欲しかった最終予選初得点に、大迫自身も強い安堵(あんど)感を覚えたはずだ。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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