新天地・ケルンで苦境が続くチョン・テセ=日本育ちのストライカーの可能性を示すことができるのか!?

元川悦子

加入後3戦連続で出場機会なし

ドイツ2部のボーフムから1部のケルン移籍したチョン・テセ 【写真:picture alliance/アフロ】

「今はとにかく結果がほしい。チャンスがほしいですね。移籍して2試合続けてノーチャンスだったから、次こそ使ってくれよと監督に言いたいね……」

 2月12日のハンブルガーSV戦でベンチ入りしながら出場機会なしに終わったチョン・テセは、ケルンの本拠地・ラインエネルギーシュタディオンのミックスゾーンでこうぼやいていた。かつて浦和レッズで指揮を執ったフォルカー・フィンケ取締役の肝入りで、ブンデスリーガ2部のボーフムから1月末に名門・ケルンに移籍して以来、まだ一度もアピールの機会が与えられていないのだから、こんな発言が出るのも無理はない。

 しかも、ウインターブレイク明け早々にケルンのエース、ルカス・ポドルスキが負傷し、約1カ月離脱することになった。その間、前線でターゲット役をこなせるFWはスロベニア代表のミリブォイェ・ノバコビッチと彼の2人しかいない。「今こそチャンスだ」とチョン・テセが鼻息を荒くするのもうなずける話なのだ。

 しかし、翌週18日のアウエー・ニュルンベルク戦でも、日本育ちの点取り屋がピッチに立つ機会は訪れなかった。ケルンは2試合連続黒星を喫したが、ライバルのノバコビッチが一矢報いるゴールを挙げており、チョン・テセは一段と苦しい立場に追い込まれたといっていいだろう。

「おれ、ケルンで何を求められているのか、よく分かんないです……。フィンケは前線で体を張れて、ゴリゴリ行って点を取れるタイプのFWということで、自分を取ってくれたんだろうけど、監督とフィンケの間でちゃんとした連携が取れているのかな……。冬の移籍で獲得する以上は即戦力を求めているんだと思ったし、試合に長いこと出られなかった槙野(智章=浦和)と同じ轍は踏まないだろうと考えていたけど、この状況だとかなり微妙ですよね……。ボーフムにいた今季前半戦は出られないこともあったし、4点しか取ってないから、監督がどうしても使いたいと思うFWじゃないのも分かるけど……」と彼の胸中には今、さまざまな不安が渦巻いている。

試合出場への渇望は強まる一方

 複雑な感情を抱きながらも、チョン・テセは努めて前向きになろうとしている。幸いにして、2部から1部に環境を移したことで、周囲のレベルは確実に上がった。それには大いに刺激を受けているという。

「ボーフムでは『チーム力』とか『結束力』が重要視されてて、エゴイストは絶対に許されなかった。チームのために動くことを求められたし、簡単にはたいてチームを生かすとか、そういうのをFWである自分も徹底的にやってました。でもケルンは全然違う。個の力がすごくあるから、選手個々に任される部分が多いですね。中盤からもいいパスが出るし、チーム全体が前から行こうとする。紅白戦やシュートゲームをやっててもそう感じるんで、おれとしてはすごいやりやすい。確実にボールが来るからね。今までだったら絶対来ないところで来たりするんで、正直、びっくりすることが多いです。シュートをたくさん打てるから、練習は断然、こっちの方が楽しいですよ」と彼は笑顔を見せた。日々のトレーニングをこなすだけで成長できる実感を持てるのは大きい。それゆえ、ベンチ生活を余儀なくされていても、ボーフムで試合に出られなかった時に比べると、精神的にポジティブでいられると本人は強調する。

 充実した練習をこなしているからこそ、早く1部デビューを飾りたい。試合出場への渇望は強まる一方だ。しかしながら、彼の目の前にはドイツ代表でたぐいまれな実績を誇るポドルスキと、2010年南アフリカワールドカップでスロベニア代表としてプレーしたノバコビッチという2人のライバルがいる。特にポドルスキはケルンの絶対的な大黒柱。ノバコビッチでさえもしのぐのは容易でない。チョン・テセとしては、まずノバコビッチとの競争に勝つことを第一に考えなければならないだろう。

「正直言って、一緒にプレーするまで、ノバコビッチに対するおれ自身の評価はそんなに高くなかった。でもやっぱりうまいですよ。足元もあるし、流れも作れるし、落ち着いてるし、ゴールも決められるから。だけど、おれもやれないことはないと思うんです。練習中でも普通にキープできるし、持ち込んでゴールもしてるし。ただ、練習と試合はまた違うんで、早く試合をやりたい。試合でできるところをちゃんとアピールしたいですね」と彼は繰り返し言う。ライバルたちと同じ土俵に上がり、正々堂々とポジション争いを繰り広げられる日が早く訪れることを痛切に願っているのだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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