本田圭佑、ラツィオ移籍破談の顛末=強大化するオイルマネーの力

神尾光臣

完全に足下を見られていたラツィオ

ラツィオ側は夏の再挑戦を明言しているが、よほど準備しない限り獲得は難しい 【Getty Images】

 通常、移籍交渉というものは、選手の環境や状態などを理由に値切りへと持っていく。今回の場合、ラツィオは本田本人から移籍希望を取り付け、そこからCSKA側の譲歩を引き出すという交渉戦略を取っていた。実際そういうやり方で成立したディールはごまんとあり、最近では「契約年数による縛りなどあってないようなもの」と言われている。

 ところが、CSKAは全くこれに乗ってこなかった。14年1月まで契約が残る本田の移籍金を約1600万ユーロ(約16億円)と設定し、「それを満たす額をラツィオが提示しなければ話にも応じない」と、交渉当初からかたくななポジションを取っていた。早い話が、ラツィオは完全に足下を見られていたのである。

 1月の移籍市場は足りない戦力を緊急に補強する意味合いがあり、つまりこの時期に手を出すクラブは基本的に立場が弱い。「本田獲得のために提示したオファーは、1月の移籍期間中でもっとも重要度の高いオファーの一つだった。ただ、この時期の難しさとはこういうこと。こういう事情にやたらとつけ込もうとしてくる輩(やから)ばかりなんだよ」とターレ強化部長はこぼした。

 ラツィオが準備できた移籍金額は1200万ユーロ(約12億円)から最大で1400万ユーロ(約14億円)だったと各種の報道で明らかになっている。CSKAの要求額が埋められないのに交渉を仕掛けたラツィオ側にもむちゃがあると言えるが、彼らは決して冷やかし半分で本田獲得に臨んだわけではなかった。ターレの言うように、1200万ユーロは確かに重要な金額である。こういう額を動かそうとしたクラブは、期限付き移籍が横行したイタリアのみならず欧州全体で見ても今冬は希有だ。

移籍市場における力関係が急激に変化している

 2004年に経営権を取得して以来、徹底した緊縮経営でクラブを建て直したロティート会長が、これだけまとまった移籍金を最初から準備しようとしたことはなかった(パスの金額がはるかに高かったサラテ獲得の場合は、当時パスを持っていたアル・アハリに対し強引に分割に持ち込んでいる)。故障がちだったにも関わらず本田を高く評価し、それなりの金額を準備したことは、彼らなりの誠意の表れである。

 だがその誠意も、オイルマネーの前には弱かった。選手から移籍合意を取り付けるも、クラブ間での合意には至らなかった。マンチェスター・シティからテベスを獲得し損ねたミランにも言えることだが、移籍市場における力関係が急激に変化していることを印象づける出来事だった。

 ラツィオが移籍交渉の前例を作ったからといって、仮にプレミアリーグやリーガ・エスパニョーラの強豪が本田獲得のオファーを出してきても、今回同様一筋縄ではいかないだろう。ターレは再挑戦を明言しているが、よほど準備して掛からないと次も難しい。いずれにせよ、次は本田自身により良いチャンスが来ることを、心から祈るばかりだ。

<了>

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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