錦織圭が示した驚異的なフィジカルの向上と“頭のスタミナ”=全豪で手にしたかけがえのない経験と確信
初の特権と周囲の注目、少なからず感じたプレッシャー
準々決勝でマリーに敗れた錦織(左)。快進撃はベスト8でひとまずの幕を下ろした 【Getty Images】
スコアは3−6、3−6、1−6、試合時間2時間12分。
数字だけ見れば、完敗と映るかもしれない。だが、表層的な数字のみで、錦織が成し遂げたことや得たものの濃度を測ることはとても不可能だ。灼熱のメルボルンを熱く焦がした10日間。そこで錦織が手にしたのは、かけがえのない経験、そして自身がここまで積み上げてきたものに対する、確信だった。
グランドスラムにおけるシード選手とは、128人の参加選手のうち、上位32名に与えられる「つぶし合い回避」の権利。シード選手は、トーナメント表の異なる山に振り分けられるため、3回戦までは直接対戦がない。
だが、初めて与えられたその特権と急激に高まる周囲の注目に、錦織は少なからずプレッシャーを感じていたようだ。大会前には「シードは別に意識していない」と再三断じてきたが、実際に2回戦をフルセットの末に勝利して3回戦に到達した時には「シード選手の責任として、3回戦まで行かなくてはという思いは、10%くらいはあった」と、安堵(あんど)感を口にしていた。
「3回戦の勝利が山だった」と感慨深げに振り返るのは、錦織の父親である清志さんだ。3回戦で対戦したジュリアン・ベネトウ(フランス)は、ランキングこそ錦織より下ではあるが、2回戦でシード選手を破り勢いに乗っている選手であった。そのベネトウとの接戦をものにした錦織は、「今日はこの大会で、一番良いテニスができていた。たとえ負けたとしても、悔いはなかったと思う」と振り返る。シードとしてのプレッシャーから解放され、そしてボールをクリーンに撃ち抜くラケットの感触を手に焼き付けて、錦織は4回戦のジョーウィルフリード・ツォンガ(フランス)との戦いに向かっていた。
3年半前との明確な違い
2008年8月、当時18歳の錦織はマンハッタンの夜景を臨む全米オープンのスタジアムで、当時4位のダビド・フェレール(スペイン)を撃破し、ベスト16入りを果たした。
そして今年の全豪オープン。錦織は世界ランク6位のツォンガから、やはりフルセットで勝利を収めた。試合時間は3時間30分。それもまた、対フェレール戦とほぼ同じ長さであった。
3年半の時間をはさみ、相似性の高い2つの試合。だがそこには当然、いくつかの大きな差異がある。
何より明確な違いは、今大会のツォンガ戦は4回戦、そして全米での熱戦は3回戦だったことだ。しかも全米の時は、2回戦で相手が途中棄権したため、体力を温存して大一番に挑むことができた。
翻って今大会、錦織は3回戦を終えた時点で、既にシングルスのみで8時間以上、ミックスダブルスも含めると9時間強も試合をしたことになる。その上でなお、身長188センチ、体重91キロのツォンガがと伍して打ち合い、コートがゆがむほどの猛暑の中、3時間30分を走り切ったのだ。
さらに驚くべきは、この翌日にも錦織はミックスダブルスに出場し、その上で準々決勝のマレー戦に挑んだことである。08年の全米オープンでは、3回戦の翌日に「動けないほどに筋肉痛だった」と言っていたことを考えれば、今大会の試合数は驚嘆に値する。
もっと言えば、この進化は3年半前との比較だけで見られるものではない。例えば、10年の全米オープン。錦織は2回戦で5時間の激闘を制したものの、その2日後の試合では、疲労のために途中棄権を強いられた。さらに1年前の全豪でも、3回戦でフェルナンド・ベルダスコ(スペイン)に敗れた際に「相手は2回戦でフルセットを戦っているのに、体力で負けた。このレベルで戦うには、体力が足りないと痛感した」と語っている。