バルサにとってメッシがすべてではない=小澤一郎のバルセロナ密着記
トレーニングメソッドの背後にある人生哲学
バルセロナの練習はグアルディオラ監督の話を合図に雰囲気が変わった。「やる時はやる」というメリハリを感じさせる 【写真は共同】
来日当初から取り上げてきたペップ流の調整法はもし結果が出なかった時には、「大事な試合前に遊ばせているからだ」と批判されかねない。しかし、17日の練習を見てもグラウンド到着後、おのおのにボールで遊ぶ選手たちは、グアルディオラ監督が集合をかけ少し話をしたのを合図にピリッとした雰囲気に変わっていく。冒頭15分のみの公開であったため、ボール回しの途中でグラウンドを出ることになったが、多少の笑顔や笑い声はあったとはいえ、「やる時はやる」というメリハリを感じる練習の入り方であった。
繰り返しの主張になるが、バルセロナが来日して注目が集まる今だからこそ、彼らのトレーニングメソッドの背後にある「成功するためにはよく働き、よく休む」という人生にも通じる哲学を参考にしていきたい。
メッシが言葉を発しない状況はチャンス
特に今回のバルセロナの来日は、日ごろサッカーに触れないような人にもチームとしての強さ、選手個々のすごさが漠然とであっても伝わる機会となっているように感じるし、それは「少しでもバルサを見たい、バルサに近づきたい」という思いで、一般公開が一切ないにもかかわらず、熱心に練習場に足を運ぶファンの多さを見ていれば分かる。
実は今大会に入って、メッシは一度も会見やミックスゾーンに姿を現していない。それが本人の意向なのか、クラブからのプロテクトなのかは分からないが、個人的にはこの状況もチャンスではないかと感じている。これは自戒の念を込めてでもあるのだが、メッシのプレーや言葉を借りなければバルセロナのサッカーの強さ、すごさを伝えられないようではメディアの人間として失格ではないか。
バルセロナが「メッシに自由にプレーしてもらうため」に戦術を組んでいることは1つの要素としてはあるが、バルセロナにとってメッシがすべてではない。今のペップ・チームにはメッシという個を上回って余りあるだけの組織として、コレクティブとしての魅力や緻密な戦略、戦術がある。
メッシ、ネイマールといった個の技、プレーに注目しても十分楽しめる決勝にはなると思うが、バルセロナ、サントスが突出した個をどう生かすのかという攻撃コンセプト、どう封じるのかという守備コンセプトを試合において見ていくことで、この決勝は個人だけをフォーカスする見方よりも数倍楽しめるはず。
わたしはバルサ密着中であったため、本日のサントスの記者会見は取材できなかったが、くしくもネイマールの「明日はサントス対バルセロナ。個人の対決ではなくチームの対決だ」という言葉が明日の決戦の見どころを誰よりも的確に示している。バルセロナとサントス、メッシとネイマールという組織としても、個としても最高の対決だからこそ、明日は「サッカーは11人で戦うスポーツ」という本質をピッチ上から見いだしてもらいたい。
<了>
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