元王者ライコネン、3シーズンぶりのカムバック=F1 “アイスマン”の素顔と復帰までの舞台裏

船田力

ライコネン復帰は可夢偉にとってもいい刺激

3シーズンぶりの復帰が決まったライコネン 【Getty Images】

 元F1王者キミ・ライコネンがロータス(※現ロータス・ルノーGP、来季より名称変更)から3シーズンぶりにF1復帰という一報が届いたのは、2011年F1最終戦ブラジルGPから日本へ戻る道中だった。
 まず最初に頭に浮かんだのが、『ザウバーのエース、小林可夢偉にとって面白いライバルが出現したな』だった。というのも、ライコネンが復帰先に選んだロータスと可夢偉が所属するザウバーの力関係を考えると、来季も両チームが同じような位置で戦う可能性が十分にあるからだ。ライコネンvs.可夢偉というシーンが毎戦繰り広げられてもおかしくない。
 ライコネンが上位チームのシートに動きがあるであろう13年に移籍することを意識しているのは間違いない。可夢偉も同様に13年での上位チーム移籍を狙っており、ライコネンに勝つことで評価はさらに高まるだろう。

 ライコネン復帰は可夢偉にとってもいい刺激になるし、個人的には大歓迎だ。

意外な素顔

 その風貌(ふうぼう)とクールな性格から“アイスマン”のニックネームを持つライコネン。彼といえば、ドライビングだけでなく、その性格もなにかと話題だった。

 あまりにも独特の世界観を持っていて、それを理解できない人には一生理解できないからだろう。表現することが難しいが、ライコネンは『関心を持つ人のストライクゾーンが狭いんだけど、そのなかに入ってしまえばすごく面倒をみてくれるタイプ』。ただ、それを不器用ととらえるか、いいヤツととらえるかはこちら次第だ。僕がそれを感じたのは彼のデビュー初年度だった。

 ザウバー在籍時代の01年、ライコネンのチームメイトだったニック・ハイドフェルドがグランプリの合間にホッケンハイム(ドイツ)で行われたドリフト大会に出場。僕は日本の老舗チューニング雑誌用に、ハイドフェルドを取材していた。黄色いコルベットでドリフトしている写真を見ながら、二人で話し込んでいたのだった。

 そのとき、偶然後ろを通りかかったライコネンが、「何これ!!」と興味を持って、話に入ってきた。もちろんインタビューは中座。その後は3人で好きなスポーツカーはなんだとか、クルマ談義で大層盛り上がった。実は、それまでライコネンとちゃんと話したこともなかったし、寡黙であまり感情を見せないドライバーというイメージだったが、とてもうれしそうにスポーツカーの話をする彼を見て、僕のなかでの印象はガラリと変わった。

 その後、彼はマクラーレンに移籍、そしてフェラーリへと移って07年に年間王者を獲得した。特別に仲がいいわけではなかったが、ある年の日本GP後、都内の繁華街で出くわしたときの笑顔はとてもすてきだった。その夜、実は偶然にも複数回もちがう場所で鉢合わせしたのだが、会う度にライコネンと一緒にいる友だちの数が増えていて笑ったことがある。とにかく面倒見がいい一面を持っている。

 また彼のトレーナーとは知人の紹介で意気投合し、彼からは世間のイメージとはまったくちがうエピソードをいくつも聞いていた。だから09年にライコネンがF1からの引退を決めた時、F1の政治に嫌気がさしたか、ドタバタするのが面倒臭かったんだろうなと理解した。

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著者プロフィール

1974年生まれ。神戸育ち。高校卒業後アメリカに留学。専攻は芸術(アクリル絵)でコルビーソイヤー大学卒業後、インディアナ州立大学大学院を中退して日本に帰国。F1は好きだし、英語が役に立てばとコンビニで見つけた「F1レーシング日本版」誌の編集部にアポなしで訪れそのままアルバイトで採用される。その後、当時三栄書房から発行されていたF1雑誌「AS+F」誌の編集部員となる。三栄書房とニューズ出版のモータースポーツ関連部署が合併したイデア設立後は、「レーシングオン」誌と「AUTOSPORT」誌で副編集長、「F1速報」誌と「F1レーシング日本版」誌の編集長などを務めた後2009年秋にフリーとなり、2010年からF1の全レースを取材中。現在はF1速報誌で“痛快! カムイ伝−小林可夢偉のF1合戦記”の連載を執筆。テレビではフジテレビNEXTの金曜フリー走行2回目を現場からナマ解説、さらには川井一仁氏とDVDの解説なども務めている。

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