J王者の誇りを持ってクラブW杯の大舞台へ=北嶋秀朗と柏レイソルが歩んできた道

元川悦子

「この年齢になって、やっとサッカーが分かった気がする」

「原点回帰」した北嶋は33歳で再ブレーク。今季は23試合出場9得点と好成績を残し、柏のJ1初優勝に大きく貢献した 【Getty Images】

 ジョルジ・ワグネル、橋本和、茨田陽生のゴールで3−1とリードした柏レイソルに歓喜の瞬間が訪れた。12月3日のJ1最終節、対浦和レッズ戦。タイムアップの笛が埼玉スタジアムに鳴り響いた時、戦況を見つめていた北嶋秀朗の目からは、自然と涙が溢れてきた。1997年の柏入団から15年。夢に描き続けたJ1タイトルがとうとう現実になったのだ。

「かみ締めることが多くて。簡単な一言では言い表せない、たくさんのことが自分の頭の中にあります。でも、これが優勝の景色、優勝の感情……。優勝チームが強くなるのは、この味を知っているからなんでしょうね。あの涙には、この大一番に出れなかった悔しさもあるけど、優勝の方が濃かったかなと思います」

 実際、浦和戦では出番がなかったものの、北嶋がクラブ史上初となるJ1制覇に大きく貢献したのは間違いない。今季は23試合出場9得点。レアンドロ・ドミンゲス、田中順也、ジョルジ・ワグネルに続くチーム4番目のゴール数を記録した。「序盤は僕、中盤はキタジさん、終盤は工藤(壮人)が引っ張ってくれて、FW3人ですごくいい循環ができた」と田中が語ったように、彼らの前向きな競争がチームを活性化したのは確かだ。「ベテラン枠とかじゃなく、自分もしっかりポジション争いに入れた」と本人もシーズンの手応えを口にした。

 北嶋自身のキャリアを振り返ってみても、2000年の18得点に次ぐ立派な数字である。「キタジはゴールに対して、シンプルにプレーできるようになった」と、柏の竹本一彦GM(ゼネラル・マネジャー)も看板ストライカーの進化を強調している。

 北嶋は言う。
「いろんなことが頭の中で整理されてきた。できるプレー、できないプレーの割り切りがついたのがすごく大きい。この年齢になって、やっとサッカーが分かった気がする」
 長いプロ生活の中で、彼はポストプレー、ドリブル突破やチャンスメークなど、多彩な役割を求められてきた。が、それが逆に混乱を招き、得点という一番重要な結果から遠ざかる悪循環に陥る傾向が強かった。しかし今は、フィニッシュを最優先に考えてピッチに立っている。そんな「原点回帰」こそ、33歳での再ブレークを呼び寄せた最大の要因なのだろう。

順風満帆なキャリアに立ちはだかった壁

 周知の通り北嶋は、高校サッカー界のスーパースターだった。市立船橋高校1年の時に出場した、94年度の高校選手権でいきなり全国制覇。3年になった96年度の同大会でも優勝と得点王を勝ち取った。恩師・布啓一郎元監督(現日本サッカー協会ユースダイレクター)が市立船橋に誘った際、「キミはダイヤモンドの原石だ」と言ったというが、当時は確かに輝ける未来を感じさせていた。

 97年のプロ入り後も、1年目から出場機会を得た。このころ、柏は5年計画でJリーグタイトルを目指しており、ストイチコフ、洪明甫ら大物外国人と加藤望や下平隆宏らベテラン、下部組織出身の酒井直樹、明神智和ら若手との融合を積極的に図っていた。北嶋と同期の大野敏隆も3年目にそれぞれ9番、10番を与えられるなど、近未来のクラブを担う選手として大切に育てられた。「レイソルにはいい人しかいない」と北嶋は当時よく話しており、非常に居心地のいい環境だったようだ。

 99年のナビスコカップ優勝は、クラブ最初の集大成。西野朗監督率いる柏は、堅守速攻を得意とする魅力的なチームだった。2000年もJリーグ優勝候補最有力候補に挙げられ、年間通算勝ち点1位を獲得。22歳の北嶋も得点王ランキング上位に顔を出し、フィリップ・トルシエ率いる日本代表入りを果たすと、同年にレバノンで開催されたアジアカップで国際舞台デビューするなど、すさまじい勢いで成長した。

 ところが柏は、第2ステージ最終節で鹿島アントラーズとの直接対決に勝ち切れず、タイトルを逃してしまう。若きFWが「自分たちの力が足りなかった……」とガックリと肩を落とし、洪明甫に抱きかかえられる姿は、今も強烈な印象として残っている。本人も、当時をしみじみと振り返る。
「あの時は、優勝争いするところまでは強くなれたけど、それ以上にはなれなかった。優勝の味を知らないから、レイソルは新しい一歩を踏み出せなかったんだと思いますね」

 ひとつの壁を越えられなかったチームは、そこから下降線をたどり始める。02年8月に就任したマルコ・アウレリオ監督は大胆な若返り策を断行。台頭してきた玉田圭司らに押し出されるように北嶋は出場機会を失い、03年には清水エスパルスへの移籍を強いられる。清水には05年まで3シーズン在籍したが、本人も再び柏に戻ることになるとは考えもしなかったようだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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