浅田真央を変えた佐藤コーチの信念=トリプルアクセル回避でつかんだスピード感

野口美恵

NHK杯で2位となった浅田真央。FSでトリプルアクセルを回避したが、試合後納得の笑顔を見せた 【坂本清】

 浅田真央がトリプルアクセルを回避した――。単にジャンプの難度を下げたという話ではない。これは彼女にとって大きな決断、そして変化を象徴する出来事だった。
 浅田は2011−12シーズン初戦となるNHK杯、フリースケーティング(FS)の演技を終えると満足した顔で何度もうなずいた。こだわり続けていたトリプルアクセルをダブルアクセルにし、大きなミスなくまとめる内容。一方、スピードは昨シーズンより格段に増し、流れのある演技を見せた。
「これまではトリプルアクセルを跳ばないと納得しない自分がいたんですが、今日は冷静に判断できました。最後までスピードが途切れずに、(佐藤)信夫先生が求めるスケートに近づけたと思います。一歩、大人になったかな」。落ち着いた良い笑顔だった。

 昨シーズンは全試合で、佐藤コーチがダブルアクセルを薦めても、自らの挑戦心を抑えることができなかった。その試合スタイルすら変えた佐藤コーチの信念とは、そして浅田の心の変化とは――。

「ダブルアクセル」か「トリプルアクセル」か

 浅田が佐藤コーチに師事したのは、昨シーズンの開幕直前となる2010年9月だった。あまりにも時間がない時期からのスタート。ジャンプ修正に明け暮れる浅田に対して、佐藤コーチは「今シーズンは手探りの状態」と言い、試行錯誤が続いた。

 当然、自身の代名詞だったトリプルアクセルは完成の域ではない。グランプリシリーズ2戦、全日本選手権、四大陸選手権、そして世界選手権、すべての試合で佐藤コーチはショートプログラム(SP)で「トリプルアクセルは回避して、ダブルでいくのが定石」と、浅田に提案した。
 しかし浅田は、「トリプルアクセルをやることで(演技全体の)気持ちが強く持てる」と言い、全試合で挑戦。FSも含めると全5試合、計10本のトリプルアクセルに挑み、成功は2本だった。シーズン最終戦の世界選手権は、6位。
 「本当に結果が出せなくて、技術的にも足りなかった。色々なことがギクシャクしていました」とシーズンを振り返った。

佐藤コーチ「選手の意思を優先させてやりたい」

 苦しんでいたのは浅田だけではない。佐藤コーチも葛藤していた。いつも試合前、浅田にかける言葉はこうだった。
「今の状態なら、僕の経験から言えばダブルアクセル。でも最終的には自分で決めなさい」

 佐藤コーチは言う。「本当に点を出すなら、ダブルアクセルにするのが定石。しかし彼女にとって、トリプルアクセルそのものが全体のモチベーションにつながっている面もあるので、頭ごなしに『やるな』とは言えない。難しいです」

 実は、佐藤コーチには苦い思い出がある。中野友加里を指導していた頃のこと。彼女のトリプルアクセルへの思い入れが強いことは、よく理解していた。しかし04−05シーズンから導入された採点方式では、回転不足での減点があまりにも大きい。堅実策をとった佐藤コーチは、中野の調子を見て完璧ではない場合は、ダブルアクセルを跳ぶよう指示した。結果、モチベーションに欠いた中野は、普段は跳べる3回転ジャンプすら次々とミスをしてしまったのだ。
「中野の時の経験がありますから。最後は選手自身に選ばせてやりたいんです」
 それが、佐藤コーチなりの決断だった。そして、彼の気持ちや考えを理解し、浅田の方からダブルアクセルに納得してくれるのを待っていたのだ。結局、昨シーズンの浅田はトリプルアクセルを選び続けた。

「オフは、ジャンプもスケーティングも基礎からすべて見直します。すぐにできないのは承知の上。僕は、忍耐力と根気で彼女を待つしかないんです」。そう言うと、佐藤コーチは口元をひきしめた。

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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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