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中村憲剛、本田圭佑とのトップ下並存へ
背番号14のもたらす効果と課題を考える

中村に突きつけられた新たな課題

2試合連続でトップ下に入った中村。持ち前のチャンスメークに加え、ゴールも求められる
2試合連続でトップ下に入った中村。持ち前のチャンスメークに加え、ゴールも求められる【写真:澤田仁典/アフロ】

 長谷部誠のループ気味のスルーパスがゴール前に走り込んだ中村憲剛に渡った。GKトゥイチェフと1対1。日本に先制点が転がり込むはずの決定機だった。背番号14をつける男は右足でシュートを放つが、不運にもセーブに遭ってしまう。幸いにして、ボールを奪って攻めの起点を作った今野泰幸が詰めて1点を奪うことに成功したが、本来なら彼が決めていなければならない場面であった。


「ハセ(長谷部)からいいボールが来たし、スカウティングでも相手の特徴が分かっていたから、決めないといけなかった。最後の精度がちょっとかみ合わないところがありましたね……」と中村は前半36分に訪れたビッグチャンスを逃したことを心底、悔しがっていた。


 気温20度・湿度30%という爽やかな気候の中、11日にドゥシャンベで行われたワールドカップ(W杯)・アジア3次予選第4戦のタジキスタン戦。ドゥシャンベ・セントラルスタジアムのピッチ状態の悪さと捨て身で点を取りにきた相手の勢いに押され、序盤の日本はボールが収まらずに苦しんだ。だが、90分が終わってみれば、4−0と底力の差を見せつけた。その後、ウズベキスタンが北朝鮮を破ったことで、日本は2試合を残した時点で早々と3次予選突破を決めることに成功した。


 2試合連続でトップ下に入った中村は立ち上がりこそボールを失うミスが目立ったものの、さすがは日本代表や川崎のアジアチャンピオンズリーグでインドやインドネシア、イランの劣悪なピッチを経験しているベテラン選手。すぐにボールコントロールの正確さを取り戻し、香川真司や岡崎慎司と連動しながらチャンスを作った。そして前述の通り、今野の先制弾を引き出し、後半37分の前田遼一が挙げた3点目の場面でも巧みにスペースを作る動きを見せるなど、ゴールに絡んだ。全8ゴール中5点をお膳立てし、1点は自らがたたき出すという10月のホームゲームに続く存在感を残した。


 しかしながら、彼がこの日、トップ下としての価値を飛躍的に高めるチャンスを生かし切れたかといえば、疑問符が残る。「今日は納得がいかない。得点を取らないといけない」と本人が繰り返し語ったように、ゴールという結果を残せなかったことが重くのしかかっているのだ。FW陣に絶対的得点力がない今の日本代表にあって、トップ下の決定力は必要不可欠な要素。本田圭佑にはそれがあるから、ザッケローニ監督も絶大な信頼を寄せている。賢い中村は、その実情を誰よりもよく理解しているはずだ。


 最大の武器であるチャンスメーク力を生かしつつ、ゴールのすごみを備えたトップ下になるにはどうすればいいのか……。アジア内陸の辺境の地で、中村に新たな課題が突きつけられた。

すさまじい代表再定着への意欲

 オシムジャパン時代の2006年10月のガーナ戦で国際Aマッチデビューしてから丸5年――。ご存じの通り、中村は日本代表の主力としてチームに貢献してきた。10年W杯本大会出場を決めた09年6月のウズベキスタン戦では、岡崎の決勝点をアシストする絶妙のスルーパスを送り、「中村ここにあり」を強烈に印象づけている。


 南アフリカではパラグアイ戦の約40分間の出場のみで、本人も「出場時間が短すぎて自分が世界で何ができるのかをつかみ切れなかった。もっとボールに絡みたかったし、もっと出たかった」と残念そうに話したが、「南アの悔しさも代表の誇りもあるから、これから先も頑張っていきたい」と4年後を視野に入れて再起を図るつもりでいた。


 今年1月のアジアカップ直前の代表落ちはそんな矢先の出来事だった。「代表に選ぶ、選ばないは監督が決めることだけど、僕らは常にクオリティーの高いプレーをしなければいけない」と本人は言い続けたが、やはり胸中は穏やかではなかっただろう。Jリーグの舞台で戦いながらも、国際舞台復帰への渇望は日に日に強まっていたに違いない。


 それゆえ、9月のW杯アジア3次予選・北朝鮮戦に向けて代表に呼び戻された時、中村の代表再定着への意欲にはすさまじいものがあった。

「自分が離れていた間にアジアカップで優勝してみんな自信をつけたし、すごく(チームが)若くなった。代表だからいい選手は年齢に関係なく入ってくるのは当たり前だけどね」


 中村はチームの変化を肌で感じながら、自分の良さを出しながら生き残るすべを模索していた。だが、このタイミングで右足親指つけ根の骨折を負っていることが判明。まさかの離脱を強いられる。本田圭佑も同時にチームを離れ、「トップ下の穴埋め問題」が一気に浮上することになった。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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