先発1トップ定着へ、ハーフナーが迎える正念場

元川悦子

出番なしに終わったベトナム戦

ベトナム戦では結局、出番なしに終わったハーフナー(左から2番目) 【写真:杉本哲大/アフロスポーツ】

 前半は3−4−3布陣のテスト、後半は新戦力の見極めに重点が置かれた7日のベトナムとの親善試合。日本は攻撃が思うようにかみ合わない中、李忠成のアジアカップ決勝戦以来のゴールで何とか1点をリードし、終盤を迎えようとしていた。そんなチームのてこ入れを図るため、ザッケローニ監督は後半20分を回ろうという時間帯に、背番号16をつけた男、ハーフナー・マイクを呼んだ。本田圭佑の負傷離脱に伴って9月のワールドカップ・ブラジル大会のアジア3次予選初戦・北朝鮮戦直前に追加招集されてから、194センチの大型ストライカーは代表の重要なジョーカーになりつつある。

「マイクへの期待はすごく大きい。世界でもあの高さはなかなかいないし、セリエAを見たっていない。それはもう彼の能力だから、そういうのを生かしてあげたい。足元も全然うまいし、すごい能力を秘めた選手だと思います」とインテルでプレーする長友佑都に太鼓判を押されるほど、周囲の注目度は高まっていた。

 ところが、交代直前に槙野智章の足がつってプレー不可能となったため、ザッケローニ監督は急きょ、吉田麻也を投入。ハーフナーの出番は先送りとなってしまう。交代枠はもう1枚残されていたが、さらなるケガ人が出るのを恐れたのか、指揮官は最後までムリをしなかった。結局、出番なしに終わったハーフナーは「途中から出る選手は流れを変えるのが仕事。自分の特徴を生かしたり、味方のためにスペースを空けてあげたりしようと思っていたんですが…」と非常に残念そうだった。

 翌8日の午前練習。主力組が軽いクールダウンをするかたわらで、ハーフナーは同じく出場機会のなかった増田誓志、酒井宏樹とともにアグレスティ・ヘッドコーチから猛烈なシュート特訓を受ける羽目になった。「槙野のケガが30秒遅れていたら、こんなキツイ練習をしなくてもよかったのに……」と苦笑いしつつ、悔しさをのぞかせた。その思いを晴らすためにも、次なる戦いへと気持ちを切り替えるしかない。

「今回は2度目の代表招集で、前回よりも自信を持って来られた。でも、自信を持って甲府に帰るだけじゃなくて、結果を残して帰りたい」と本人も意気込みを新たにしている。それだけに、11日のタジキスタン戦では代表初ゴールが求められるところだ。

人材難の1トップのポジション

 発足から1年が経過したザックジャパンは、香川真司、岡崎慎司らサイドアタッカーの豊富さに比べると、1トップ要員は薄いと言わざるを得ない。これまで指揮官が呼んだのは、森本貴幸、前田遼一、李忠成、ハーフナーの4人だけ。サイドアタッカー併用の田中順也を入れても5人。センターバック同様に人材難のポジションなのである。

 指揮官は当初、森本と前田の2人を軸にチーム作りを進めてきた。就任初戦だった昨年10月のアルゼンチン戦では森本が先発。イタリア語で直接コミュニケーションできる彼への信頼が厚いようだった。だが、アジアカップ直前に森本が左ひざの手術で離脱。ケガの情報をメンバー発表直前まで知らされていなかったザッケローニ監督は、彼への不信感をにじませた。そこから前田が一気に大黒柱となり、アジアカップを通じてフル稼働。森本の代役として呼ばれた李は切り札として位置づけられ、決勝戦のスーパーゴールによってA代表定着を果たした印象を受けた。

 前田と李の序列が変わったのは、6月のキリンカップだ。前田がペルー戦後に腰痛を起こし、チェコ戦で李が代表初スタメンに抜てきされたのだ。この試合で体を張った献身的なプレーを見せたことが評価され、8月の日韓戦、9月の北朝鮮・ウズベキスタンとの2連戦、7日のベトナム戦で李が5試合連続で先発の1トップに起用されている。

 そんなFW争いに参入してきたのが、ハーフナーだった。8月初旬に北海道で行われたA代表予備軍合宿に初招集された大型FWは、類いまれなインパクトを残した。ザッケローニ監督が1トップに求める相手のパスコースを限定する守備、豊富な運動量でチェイシングにいく動きや切り替えの速さなどは物足りなかったものの、頭抜けた高さでターゲットになり、抜群の迫力でゴールを奪うことができる。札幌大との練習試合でも次元の違いを印象づけており、これまでの3人と全く違うタイプのハーフナーの存在は、指揮官の目にも確実に留まったはずだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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