フランス代表の光と影、監督ブランの苦悩は続く

木村かや子

希望をもたらすマルタンのブレーク

ブラン監督(写真)率いるフランス代表は成績面ではそう悪くないが、プレー内容にかなり波があるのが現状だ 【写真:ロイター/アフロ】

 ローラン・ブランのフランス代表が新スタートを切ってから、早1年になろうとしている。現フランス代表はどうかと聞かれたのが8月10日のチリとの親善試合(1−1)の直後だったなら、幸先よしと迷わず言ったところだが、9月のユーロ(欧州選手権)予選2試合を見た後では、何とも言い難い。親善試合ではイングランド、ブラジルも破ったフランスは、公式戦・非公式戦を合わせここ13試合負けなしで、ユーロ2012予選グループでは首位につけている。表面上、成績面ではそう悪くはないのだが、プレー内容にかなり波があるのだ。

 反対に6月、ウクライナに4−1で勝利した時点でのフランスは、ついに良い軌道に乗り始めたという印象を与えていた。その最たる理由は、マルビン・マルタンというすがすがしい新星の参入だ。昨季リーグ1のベストパサーとなったマルタンは、5月末にA代表に招集されるまでユース代表だった攻撃的MFで、ここ数年、育成者の間で“小さなシャビ”と呼ばれていた知る人ぞ知るホープ。ソショーという地味なクラブにいるので国際舞台での知名度はないが、将来を嘱望されるプレーメーカーなのだ。

 プレービジョン、スペース感覚、正確なパス、チームプレーの精神、謙虚さと、マルタンは、ワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会時のフランス代表に欠けていたすべての資質を持っていた。発育不全を理由に国立サッカー学校のセレクションで落とされた過去を持つ彼だが、23歳となった今、身長も171センチとシャビ並には成長。そのあだ名が見せるとおりの能力を備えた、最近のフランスには希少なタイプである。その彼がシニア代表初招集・初試合の対ウクライナ戦で、後半1−1の場面で投入されるやいきなり2ゴール1アシストという快挙をやってのけた。代表初招集で初ゴールといえば、思い浮かぶのはかのジネディーヌ・ジダン。気の早いフランス国民が「ジダンの再来!」と騒いだのも、無理のないことだった。

 この試合では膠着(こうちゃく)状態を破るゴールを挙げて大いに目立ったマルタンだが、通常はどちらかというとスペースを突く動きと読みのいいパスで仲間の力を引き出す、もう少し地味なタイプだ。ジダンとの比較はやや性急だが、ジダン同様、良いビジョンでチームに方向性を与える能力を持つ彼は、個々は強いがチームとしてのまとまりがないというフランスの過去の病を癒すための、将来的な鍵となり得るように見えた。

人種差別者と呼ばれたブランの苦悩

 マルタンの活躍は、これに先立ち“人種差別者”の嫌疑をかけられたブランやフランス協会の育成者にとって、とりわけうれしい驚きだったに違いない。というのも今年の4月末、あるウェブメディアが「フランス協会とその育成機関は黒人やアラブ系選手の数を減らすため、育成部門に移民系の人数枠を設けようとしている」と報じ、国内で大スキャンダルが巻き起こっていたのである。

 事は、協会のテクニカル部門の話し合いの録音を、内部の者がメディアに流したことから発覚したのだが、よくよく見れば、それは人種差別でもなんでもなかった。フランス協会の国立サッカー学校は、未来のフランス代表の育成のために金と努力を投じているが、近年、国の費用で育成を受けておきながら、成人してから源の国の代表を選ぶ選手があまりに多い。話し合いの中では、その点を問題視した育成責任者が「二重国籍を持つ選手の数が全体の30〜35%くらいに減れば好ましい」と希望を述べたにすぎず、また近年プレーがフィジカルに傾倒しすぎ、創造性が欠如していることを受け「創造性、知性、チームワークにより重きを置いた育成をしよう」という提案がなされた。つまり、わたしの目から見れば、非常にもっともな見直し案である。しかしそれが分かった後も、メディアは「差別!」とわめくのをやめなかった。

 この会議に出席し、「(クリエイティビティーや技術、プレーの知性など)われわれの伝統を尊重した育成に賛成する」と言ったブランも、人種差別者呼ばわりされることになった。殊に移民系の選手がフランス協会に育成されながら途中で国籍を変える問題について、ブランが言った「スペイン人は『われわれにはそういう問題はない。うちには黒人はいない』と言うだろう」という台詞が差別的発言として引用され、事は一時、代表監督辞任のうわさも飛ぶ騒ぎにまで発展する。

 もっともブランには、辞める意図も、辞めなければいけない理由もなかった。これは昨今のフランスの悪いところなのだが、人種にかかわる話が出るたびに、やたら差別に結びつけてメディアも、選挙を控えた政治家も大騒ぎする傾向がある。実は、一般国民の意見は「協会の見直しはもっとも」という意見が大半を占めてもいたのだが、それを公に口にすれば一部の人々が差別と叫び、それに便乗したメディアにたたかれるのだ。そんなわけで騒ぎに巻き込まれたブランと協会だが、ヒステリックな嵐が過ぎ去った後、結局、何も処分はないまま、ブランは任務続行となった。しかし、不当に差別者呼ばわりされたブランがいかにいたたまれない思いを経験したかは、想像に難くない。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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