清武弘嗣、紆余曲折を経てブレークしたテクニシャン=ザックジャパン新世代の象徴として

元川悦子

A代表定着へ踏み出した一歩

清武(左)は若手の1人として今後、日本代表の重要な戦力となることが期待される 【Getty Images】

 とはいえ、こんなにも早くA代表定着へ一歩が踏み出せるとは、清武本人も考えていなかった。ハーフナー・マイクや増田誓志ら“A代表予備軍”を集めて行われた8月1〜3日の札幌合宿の際も、「守備とか超細かいし、難しいですね。動き方もセレッソとは全然違うんで、勉強しつつやっていきたいですけど」と、代表レベルを少しでも自分のものにしたい一心だった。札幌大学との練習試合でも、ザッケローニ監督の戦術通りにはほとんどプレーできなかった。

 にもかかわらず、指揮官のお眼鏡にかない、韓国戦で国際Aマッチデビュー。見事なパス出しで本田圭佑と香川真司のゴールをお膳立てするとは、多くの人の予想を超える出来事だった。試合中に内田篤人が「清武君のプレースタイルが分かんないんだけど」と尋ねるほど、周囲との連係構築の時間もなかった。だが、即興で息を合わせてしまうあたりが、清武の能力の高さなのである。

 迎えた今回の北朝鮮戦。フレンドリーマッチと、14年W杯・ブラジル大会出場の懸かる予選とは、試合の意味合いが全く違う。10代のころの繊細すぎる清武だったら、プレッシャーに押しつぶされたに違いない。しかし、伸び悩みやけが、プレー環境の変化など紆余(うよ)曲折を経て、じっくりと自信を養いながら20代を迎えた男に動揺はなかった。8月29日から始まった埼玉合宿でも「今回は2回目なんでリラックスしています」と平常心を強調。本番の佳境でピッチに送り出されても落ち着き払っていた。予選特有の独特なムードは感じ取ったとはいうものの、清武らしい積極性と高い技術が失われることはなかった。

 吉田のゴールにつながった時間帯はスタジアム中が騒然となっていたが、清武は新庄総監督から太鼓判を押された“頭抜けた集中力”で、戦況をしっかり見極めた。
「前半からショートコーナーが利いていましたし、それを意識してハセさん(長谷部)が寄って来てくれたんで、自分のコーナーキックは少しボールが強いかなと思ったけど、うまく戻ってきた。その時、密集の中に放り込んだら何かが起きると思って中に蹴りました」
 吉田のゴールが生まれ、選手たちがもみくちゃになって喜び合うシーンを清武は少し離れた場所から眺めることになった。「自分もホントは喜びたかったんですけど、遠かったんで(苦笑)。残り時間もありましたし、決めた後はしっかり締めないといけないと思いました」と冷静さを忘れなかった。

“大舞台での落ち着きと集中力”を培った原点

 清武が“大舞台での落ち着きと集中力”を肝に銘じているのは、01年夏の全日本少年サッカー大会の2次ラウンド・福山ジュニア戦で退場処分を受けた時の経験が大きい。弟・功暉を削られて頭に血が上った弘嗣少年は相手選手に暴言を吐いてしまい、準決勝のピッチに立てなかった。明治北SSCがファイナル進出を懸けて戦った相手は、指宿洋史(セビージャ)らを擁する柏レイソルユース。だが、エースを欠いた田舎の少年団が勝てるはずがなかった。「気持ちが弱いからこうなった」と新庄総監督に怒鳴られたこと、監督だった父・由光さんの落胆ぶり、そして弟・功暉らチームメートの辛そうな表情……。そのひとつひとつが10年経った今、清武の大舞台での抜群の強さにつながっている。

 平成生まれのJリーグアカデミー出身者ではあるが、どこか昭和の泥臭さを感じさせる清武。この先もまだまだ伸びしろがありそうだ。彼が今後、日本代表の重要な戦力になっていくのは間違いないだろう。

 次なる戦いは目前に迫っている。6日のウズベキスタン戦(タシケント)はスタメンの可能性も高い。北朝鮮戦でトップ下に入った柏木が思ったより機能しなかったため、後半途中からの「清武・香川・岡崎」という2列目を、指揮官が頭から採用することが大いに考えられるからだ。遠藤保仁や長谷部誠ら年長者の主力たちも強行日程で疲れているだけに、中3日の敵地での決戦は、若い力がカバーするしかない。

「ウズベキスタンのことは全然分からないですけど、しっかり体力を回復させることが第一ですね」と清武は淡々と言う。今の彼なら先発でも十分やれるはずだ。90分という長い時間を与えられるなら、今度こそ、本人も言い続けている“ゴール”という結果をしっかりと残さなければならない。果たして、タシケントで清武のA代表初ゴールは見られるのか。背番号11の決定力が、ザックジャパンの命運を大きく左右しそうだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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