アーティスト日比野克彦氏が語る「サッカーのチカラ展」

宇都宮徹壱

アーティストであり、日本サッカー協会の理事でもある日比野氏。サッカーとアートとの親和性について語る 【宇都宮徹壱】

 東京・文京区の日本サッカーミュージアム、ヴァーチャルスタジアムで開催中の「サッカーのチカラ展」(8月6日〜9月4日)。写真やイラスト、漫画など、サッカーを愛するビジュアルアーティストたちが作品を持ち寄って展示・ネット販売し、そこで得た収益は日本サッカー協会を通じて、東日本大震災で被災した地域に送られる。

 この画期的な企画展開催で尽力したのが、アーティストの日比野克彦氏だ。日本サッカー協会理事の肩書きを持つ日比野氏にとって、アートとサッカーは「同じ身体表現」であり、両者は分かち難い表現の発露となっている。まさに「サッカーとアートのコラボレーション」という今回の企画趣旨を体現するかのような存在だ。そんな日比野氏に、この「サッカーのチカラ展」の意義について語っていただくことになった。余談ながら聞き手である私にとり、日比野氏は母校である東京藝術大学サッカー部のおっかない――もとい、畏怖(いふ)すべき大先輩である。恐縮しきりで仕事場にお邪魔して、さっそくお話を伺うこととなった。(取材日:8月22日)

サッカーとアートに共通する「きた!」という瞬間

――日比野さんはサッカーに造詣が深いアーティストとしてつとに有名です。そういうアーティストの方は決して珍しくないと思うのですが、どうも世の中的にはフットボールのアスリート的な面ばかりが強調されて、芸術とは真逆というような扱いを受けることが少なくないようです。実際、われわれの母校である藝大にサッカー部がある話をしても、なかなか信じてくれない人がいる。「絵描きがサッカーをするのか?」と(笑)。でも、レベルの高い試合になればなるほど、ピッチ上で起こる現象は非常にイマジネーションやファンタジーに溢れているわけで、本来的にはサッカーとアートには強い親和性があるはずだ、と私は思うんですが

 たとえば「芸術的なシュート」とか「芸術的なパス」とか。「え、今何が起こったの?」という感じの、一線を越えるようなプレーが飛び出すと、そういう修飾語が出てくるよね。ただしそれは、その人のDNA的なものから引き出された一瞬の出来事。選手は90分間プレーしていて、すべての時間をファンタジスタでいられるわけではない。その発露というものは一瞬なんだよね。その一瞬によって、ゲームが決まったり、その人の価値が決まったりする。だからこその「芸術的な」なんだよね。

――日比野さんのお仕事は、ドローイングが多いわけですが、やはりそういった一瞬のひらめきのような感覚ってあります?

 僕の描き方って、最初から決めて描くのではなく、なりゆきでやっている。でも一本線を描くときに「あ、きた!」って瞬間があるのよ。

――何本もパスを出しているうちに、ものすごいキラーパスが通る感じですか?

 そう、それ!「今日はなかなか決まらないな」と思っていても、「うわ、来た!」という瞬間がある。でもその前には、混沌(こんとん)とした時間とか、絵の具がぐちゃぐちゃになったパレットとか。紙が真っ白の段階では、その瞬間は出てこない。そのファンタジスタ的な一本の線が出てきた時が「作品になってくる」という感じかな。

 もちろん、その「きた!」という感覚というのは、アーティスト自身にしか分からないんだよね。けれども(サッカーでは)、何万人という人たちがその過程を見守っているわけで、「きた!」という一瞬の喜びをみんなで共有できる。それこそが、スタジアムで観戦する醍醐味(だいごみ)なんだと思う。

サッカーも芸術も、氷山の一角の楽しみ方ではもったいない!

――さて、今回の「サッカーのチカラ展」ですが、日本サッカーミュージアムで開催されていることもあり、けっこうお客さんは入っているんです。でも、残念ながら作品販売のほうは、あまり動いていないのが実情です。私自身、写真を掛け軸にした作品を6点出品しているのですが、現時点で1点が売れただけです。やはり一般のお客さんにとって「作品を買う」という行為は敷居が高いのかな、と思ったりするのですが、いかがでしょう

 それはたぶん「作品の価値が分からない」というのがあるじゃないですか。「5万円が高いか安いか分からないから買わない」みたいな。でも、本当に気に入った作品だったら、自分の部屋に持って帰りたいと思う。そして、毎日それを見ながらいろんなことを考えたりとか、アーティストの心情を想像したりとか、いろんな想いをめぐらせることができるわけ。そこが美術館での鑑賞と違うところだよ。

――そのあたりの感覚を、アート鑑賞になじみのないサッカーファンに分かりやすく説明すると、どんな感じでしょうか?

 たとえばJリーグの場合、結果だけを知りたければ、スポーツニュースの情報だけでいいわけじゃない? でも結果って、実はサッカーの一部でしかない。スタジアムに行くまでの過程とか、試合が始まる前の雰囲気とか、試合が終わってからの帰り道での余韻とか、それらを全部ひっくるめてのサッカーであり、サッカーを楽しむということだと思う。結果だけ見ればいいというのは、美術館で鑑賞するだけとか、もっと言えば図版を見て終わってしまうのと同じ感覚だよね。そうなるとサッカーの楽しみ方も、芸術の楽しみ方も、氷山の一角でしかない。本当は、90分の試合以外にも、あるいは額縁に飾られた絵以外にも、見るべきところや楽しむべきところはたくさんあるんだよね。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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