新たな変化に賭けたアルゼンチン

攻撃的な美しいサッカーを志向する新監督

アルゼンチン代表の新監督に就任したサベーラ氏。困難な時代を迎えている同代表を救うことはできるのか 【写真:Action Images/アフロ】

 アルゼンチンサッカー界は今、困難な時代を迎えている。開催国として挑みながら予期せぬ準々決勝敗退で終わったコパ・アメリカ(南米選手権)は、実際にはグループリーグ突破すら危ういほどの出来だった。結果として約1年間、代表を率いたセルヒオ・バティスタ監督は解任され、7月28日にはアレハンドロ・サベーラの新監督就任が決まった。

 あらゆるアンケートで90%以上の支持を得ながら、AFA(アルゼンチンサッカー協会)会長のフリオ・グロンドーナとの不仲が原因で声が掛からないカルロス・ビアンチを除き、過去の経歴で言えばサベーラは代表を率いるに値するキャリアの持ち主だ。エストゥディアンテスで好成績を収めただけでなく、すでに1994年から98年のワールドカップ(W杯)・フランス大会にかけ、ダニエル・パサレラ監督のアシスタントコーチとしてアルゼンチン代表にかかわった経験を持っているからだ。

 サベーラは現実的な指導者だが、実現可能な範囲では攻撃的な美しいサッカーを志向する男でもある。選手時代はクリエーティブなMFとして名をはせ、リーベル・プレートの下部組織で頭角を現した後にイングランドへと移籍した(シェフィールド・ユナイテッドとリーズでプレー)。82年に帰国した後はカルロス・ビラルド率いるエストゥディアンテスでキャリア最高の時期を過ごし、アルゼンチン王者にもなった。

 エストゥディアンテスでは監督としてもタイトルを手にした。2009年にコパ・リベルタドーレスを制し、同年のクラブW杯ではあと1分で世界一というところまでバルセロナを追い詰めたものの、土壇場で現れたペドロの同点ゴールにより延長戦の末に涙をのんだ。続く10年の前期リーグでは優勝している。

ビアンチが代表監督に就任しない理由

 困難な時代を迎えている理由はサベーラにあるわけではない。なぜ、アルゼンチン人指導者の中で最も多くの成功を収めてきたビアンチが、いまだに母国の代表を率いる機会を得られないのか。なぜ74年から04年までの30年間で代表監督を務めた指導者が5人(メノッティ、ビラルド、バシーレ、パサレラ、ビエルサ)しかいないのに、その後の7年で同数の監督(ペケルマン、バシーレ、マラドーナ、バティスタ、サベーラ)が入れ替わっているのか。それはここ数年にわたって、何かがうまくいっていないことを示している。

 ビアンチに関してグロンドーナは、彼が過去に2度、代表監督就任の機会を拒んだこと、そして自身が会長を務める限り彼がAFAで働くことはないだろうと繰り返し主張している(98年にはボカ・ジュニアーズが先んじてビアンチと契約を交わし、その後約10年にわたって黄金期を築いた。04年には06年W杯までの2年弱の契約期間では短すぎるとして、ビアンチがオファーを断った)。

 先日グロンドーナは、なぜ選手たち、特にリオネル・メッシに受け入れられていたバティスタにもっと時間を与えなかったのかと問われた際、「わたしの気まぐれが悪い結果をもたらしたと言われるのはごめんだ」と答えた。おかしな話である。最高の選択肢であるはずのビアンチが代表監督に就任しない理由が、グロンドーナの気まぐれ以外にあるというのか?

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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