全米優勝を逃した一人きりの“なでしこフットボーラー”=女子アメリカンフットボール・鈴木弘子の挑戦

内田暁

2点差で涙をのんだチャンピオンシップ

ワールド・チャンピオンシップに出場した鈴木弘子 【内田暁】

 試合終了の瞬間を、鈴木弘子(カリフォルニア・クエイク)は、フィールドの上で迎えていた。
 残り時間を示す電光掲示板の数字が「0」を刻むと同時に、相手チームの選手が歓喜の雄叫びを上げるその横を、やや目を伏せて鈴木たちは歩き去る。
 「いい試合だった! 顔を上げるんだ!」
 好ゲームの目撃者となった観客は、フィールドを後にする選手たちに激励と労いの声を掛けるが、敗れたチームの落胆の色は、ヘルメット越しにも隠しようがない。

 今年で創設12年目を迎える、女子アメリカンフットボールの独立プロリーグ(IWFL)。その2011年シーズン・チャンピオンシップは、ロサンゼルス郊外を本拠地とするカリフォルニア・クエイクと、米国中南部に拠点を置くアトランタ・レイブンズの間で競われ、24−22のスコアで、レイブンズが勝利した。

 追いつ追われつの展開の中、わずか2点が勝者と敗者を分けたこの試合は、IWFLの会長をして「過去最高のチャンピオンシップ」と言わしめるほどに高質の一戦であり、そして同時に、鈴木の悲願達成の瞬間を、少しばかり先延ばしにするものでもあった。

 全米頂点の座を求め、単身渡米し12年……もう一つの、そして一人きりの“なでしこフットボーラー”鈴木弘子の11年の挑戦は、こうして2点届かぬまま、終わりを告げたのだった。

35歳で“プロ転向”、そこから12年

 高校時代はシンクロナイズドスイミングに青春を捧げ、短大卒業後はスポーツインストラクターとして働くなど常にスポーツに携わってきた鈴木が、日本人にはなじみみの薄い“アメリカンフットボール”と運命的な出会いを果たしたのは、30歳の時のことだ。始めるや否や、その奥深い魅力にたちまち引き込まれた鈴木は、日本の女子チームで5年間プレーした後、2000年に米国女子プロリーグのトライアウトを受け、合格。35歳にして“プロ転向”を果たしたのだ。

 米国でプレーし始めた当初は、シーズン中のみ米国に滞在し、日米間を半年ごとに往復する数年間を過ごしたが、7年前にグリーンカードを取得してからは、本腰を入れアメリカに居住。
「より強いチームを、より自分を必要としてくれる場所を――」
 まるで渡り鳥のように複数のチームでプレーを重ね、気が付けば“干支一回り”に相当する歳月が過ぎていた。

 鈴木が所属し3年目となるクエイクは、全27チームを傘下に置くIWFLの、西カンファレンスに所属するチームである。東西のカンファレンスに分かれており、レギュラーシーズン後にカンファレンスごとのプレーオフが行われる。そして最後は、東西の優勝者による王者決定戦“ワールド・チャンピオンシップ”によって、その年の全米チャンピオンが決まるシステムだ。

 鈴木は、昨年まではクエイクのオフェンスラインの主力として活躍したが、今年はディフェンスラインへの転向を志願し、そのポジションでも不動のスタメンの座を射止めていた。さらには、チーム状況や試合展開によってはオフェンスラインやキッキングチームにも参加。まさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せ、チームを初のチャンピオンシップへとけん引したのだ。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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