古豪復活へ、ベルギー代表が歩んできた道=名将も認めた魅惑溢れるプレーで復権を期す
ビッグイベントの常連だった『ロード・ダウフェルス』
優勝したブラジル(黄色)を追い詰めた日韓W杯が最後のビッグイベント。それ以降、ベルギーは低迷期に入ってしまった 【Getty Images】
「お客さん、何しにベルギーにやってきたんですか?」
カウンター越しに主人が尋ねてきた。この日の夜はブリュッセルでユーロ(欧州選手権)予選、ベルギー対トルコの大一番が予定されていた。
「どうせベルギーの試合なんて、スタジアムがガラガラでしょう。えっ!? チケットは3日間で売り切れたの? へぇ、珍しいこともあるもんだ。昔はベルギーもサッカーが強かったんだけどねえ。それにしてもお客さん、サッカー詳しいねえ」
このちょっとした会話には、ベルギー代表の25年分の栄光と衰弱、そして立ち直ろうとしている現在のすべてが詰まっている。
ベルギーの黄金期は4位に輝いた1986年のワールドカップ(W杯)・メキシコ大会だった。その後も『ロード・ダウフェルス(“赤い悪魔”のオランダ語読み)』はビッグイベントの常連であり続け、2002年のW杯・日韓大会では決勝トーナメント1回戦で敗れたものの、優勝したブラジルを最後まで追い詰めた。
しかし、ベルギー代表にとってこの日韓W杯が最後のビッグイベントだった。04年4月には16位だったFIFA(国際サッカー連盟)ランキングも、07年6月には71位まで落ちた。このころのバウデワイン・スタディオンはアウエーのサポーター席ばかりが埋まって、ホーム側は元気がなかった。
大恥をかいた地元開催のユーロ
また、最近のベルギーの専門誌は、「00年の共同開催の段階で、すでにオランダのスタジアムとベルギーのスタジアムの差が明らかになっていた」と記している。当時、オランダはアムステルダム・アレーナ、ヘルレドームという超近代的なスタジアムに、フィリップス、デ・カイプというしっかりとリノベーションを済ませていたスタジアムを用意したが、ベルギーの方はブリュッセル、ブルージュ、リエージュ、シャルルロワといずれもオランダと比べて見劣りのするものだった。
実は、両国間の小中クラブの施設はもっと差がついている。オランダにも施設が古いVVV、エクセルシオールやRKCのような極端に小さいスタジアムがあるが、ベルギーのスタジアムはあまりにレトロすぎる。ようやく最近ヘントをはじめ、アンデルレヒト、クラブ・ブルージュとセルクル・ブルージュ、ゲンク、リールスがスタジアムの新築・改築に乗り出そうとしているが、「ここで各チームの計画がとん挫したら、ベルギーのスタジアムはますます『砂漠化』が進む」と国内には危機感がある。