萩原智子、病気を克服し再びレースへ=「復帰」でも「再スタート」でもなく

田中夕子

手術を乗り越えプールに戻ってきた萩原智子(中央の白のキャップ) 【田中夕子】

 梅雨空に覆われた父の日。甲府市スポーツ会館で行われた山梨県夏季水泳競技大会で、2月27日の日本短水路選手権以来111日ぶりに100メートル自由形のレースを終えた萩原智子(山梨学院大職)は、電光掲示板に掲示された「55秒46」のタイムを見て、ため息をついた。

「遅いよね」
 自己ベストの53秒台とは行かずとも、内心は「54秒9が出れば合格と思っていたし、どこかで自分に期待もしていた」。それだけに、いつもなら果敢に飛ばすはずの前半で26秒87と失速したことは想像以上のショックを与えた。
 100メートルから3時間後に行われた50メートルでも26秒01。昨年10月にたたき出した24秒91の日本新記録には程遠いタイムが、さらに萩原をへこませた。

 レース後、山梨学院大の神田忠彦監督から「100メートルは(腕をかく)テンポが遅すぎ、50メートルは速すぎる」と指摘を受けた。脚の筋力が足りず、キックに力が入らない。その分を手のかきでカバーしようとするも、「パワーがないので、水をかいても力が乗らない」
 0.1秒、0.2秒の差ではあったが、そのわずかな違いが泳ぎの不安定さを示していた。

「練習できていないから、泳げないことはわかっているんです。でも、分かっていても実際に現実を突きつけられるとつらい。きついです」
 ロンドン五輪を目指すスイマーが、今このタイムで泳いでいる現実を客観的に見れば、彼女が言う通り「きつい」のかもしれない。
 ただし、見方を変えたらどうか。約1カ月もの間、水から離れたスイマーが本格的に練習を再開させたわずか1カ月後に、こうしてプールに戻ってきたのだとしたら。期待を抱かずにいられないのは、淡い幻想だろうか。

ロンドンへの道筋が見えた矢先に体調に異変

 2009年6月に5年ぶりの復帰を果たして以後、昨夏のパンパシフィック選手権で自己シーズンベスト(100メートル)の55秒73を出し、11月のアジア大会には4×100メートルリレーの第3泳者として出場。3分37秒90の世界ランク5位に値する日本新記録を樹立し、銀メダルを獲得した。2年後のロンドン五輪へ向け、自衛隊体育学校での出稽古練習の成果と手応えを抱き始めた矢先、体調に異変を感じた。

 以前から月経時に腹痛や頭痛に悩まされてはいたが、今年の2月に入るころから痛みは激痛と化し、練習どころか日常生活にも支障をきたすようになった。複数の病院で診断を受けた結果、子宮内膜症と卵巣のう腫を発症していることがわかった。
 一過性の苦しみならば、上向いてきた現状を維持することを優先し、痛みにも耐えられたかもしれない。

 それが「妊娠できないかもしれない」と言われるものでなかったならば。
 将来への不安を抱えながら競技を続けるか。今、手術を受けるか。家庭を持つ女性アスリートとして、究極の選択とも言うべき決断を迫られた。

 プールから離れ、家にこもる日々。寝て起きたまま着替えもせず、ストレスで荒れた肌のまま「手術を受けて、水泳は辞める」と繰り返す萩原を諭したのが夫だった。

「子どものことも、水泳も、どちらもうまくいくように頑張ればいいじゃない」

 4月6日、萩原は自らのブログで3日後に開幕する「2011年度競泳国際大会代表選手選考会」への棄権を表明した。女性が婦人科検診を受けるきっかけになれば、と症状の詳細も記した。寄せられた88件のコメントは彼女の決断を支持するもの、自らも同じ経験で悩んだと明かされたもの、すべてが萩原の背を温かく押すものばかりだった。

レースに出たからこそ感じた悔しさ

 4月8日の手術から約1週間で退院し、4月21日からウォーキングやストレッチなどリハビリを開始。5月10日からは再び自衛隊を練習拠点とし、プールでの練習を再開した。1日1000メートルから2000メートル、午前と午後の二部練習で計5000メートルと日に日に泳ぐ距離は増し、少しずつ水の感触を取り戻す。

 とはいえ、実際のレースで萩原がスピード不足を痛感したように、陸上では腹筋や背筋などベーシックな体幹トレーニングが中心で、パワーアップや持久力向上につながる筋力トレーニングまでは至っていないのが術後1カ月の現状だ。
 医師にもコーチにも「もう出るの?」と驚かれる中、それでもなぜ、レースに出ることにこだわったのか。

「怖がって、いつまでも出ないでいたら意味がない。私にとっては『復帰』でも『再スタート』でもない。ロンドンを目指す『続き』なんです」

 世界水泳に出場する松本弥生(日本体育大学)、長谷川菜月(岐阜SC)など女子自由形短距離界も新戦力の台頭が著しい。泳ぐたびにタイムを上げる若手選手たちとともに戦うと決めた今、手術の後とはいえ「タイムはどうあれ泳げてよかった」と思う程度では、ロンドンなど夢のまた夢だろう。

 レースに出たからこそ味わえた悔しさと、来夏へ向けた誓い。
「今シーズン中に結果を出そうと焦るのではなく、出すべきときにしっかり出せるように。全力で間に合わせます」

 帰り際、同じレースに出場した小学生がサインを求め、萩原の周りを囲んだ。
「ハギトモさん、応援してるから頑張ってね!」
 転んでも、また立ち上がる。迎えてくれる笑顔がある限り。何度でも、何度でも。

<了>
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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