東洋大・藤岡の19奪三振に見た“余裕のなさ”=全日本大学野球選手権リポート

松倉雄太

普段と違っていた“大学ナンバーワン左腕”

力強いストレートと鋭いスライダー、落差のあるカーブを軸に19三振を奪った東洋大・藤岡 【島尻譲】

「勝ててホッとしています」。
 東洋大・藤岡貴裕(4年)が試合直後に話した感想だ。
 スコアブックに19個記された『K』の文字。“大学ナンバーワン左腕”が近畿大の大隣憲司(現・福岡ソフトバンク)が2005年に記録した1試合最多奪三振の大会記録に並んでみせた。
「2ストライクを取れば常に三振を狙っています」と本人が話す通り、狙って取った19という数字は確かにすごい。昨年の同大会優勝投手である藤岡の成長した部分だろう。

 しかし、この日の藤岡はどこか違った。
 大会連覇を狙うチームのエース。大苦戦が続いていた初戦の怖さ。大学ビッグ3と呼ばれる中で、菅野智之(東海大)、そして野村祐輔(明治大)が出られず、自分に注目が集まるなど、さまざまなプレッシャーもあったのだろうか。

 1回表2死、裏のマウンドに備えてベンチ前でキャッチボールを始めた。その時、ふと自チームの応援席を見つめる姿があった。
「いつもより人(応援)が多いなぁ」と感じていた藤岡。立ち上がりは直球主体で3つのアウトを三振で取ったが、バックネット裏で視察するプロ野球スカウトの一部からは「力んでいる」との声が漏れていた。

信じられないミスが相次ぎ、2点のリードを許す

試合序盤、渋い表情で戦況を見つめる藤岡 【島尻譲】

 3回、2死走者なしから3連打で先に1点を与えてしまう。このあたりから徐々に余裕が感じられなくなった。
 その一端が見られたのは4回表の攻撃中。東洋大の4番・戸田大貴(3年)が放った打球がベンチ前でキャッチボールをする藤岡の頭上を越えて三塁側のスタンドに入った。その前のイニングで似たような打球があった時は、藤岡は打球の行方を最後まで見つめて、スタンドに入った後もしばらく目をやっている。しかし、この戸田の打球にはほとんど反応せず、キャッチボールを続けた。
『1点を先に与えた』ことによる、精神的な余裕を欠いていたと思える光景に見えた。

 直後の4回裏、余裕を欠いた藤岡は福岡大先頭の5番小原亮哉(3年)にこの試合唯一となる四球を与えてしまった。
 この四球をきっかけに、余裕の欠如は野手にも伝染。この後、普段は滅多にないミスが相次ぎ、福岡大に追加点が入った。この失点を「不運」と感じた藤岡は、意地で三振3つを奪い最少失点で食い止めた。

“鬼門”の初戦を突破し、連覇への道はつながれた

試合終了直後には思わず苦笑いを浮かべた 【島尻譲】

 5回までは完全に東洋大の負けパターンと言える展開。しかし6回、鈴木大地(4年)の2ランで追いついた。 「すべての流れをプレゼントしてくれたホームラン」と高橋昭雄監督がたたえた主将の一発。そして、「タイブレークは嫌だった」と藤岡が思い始めた9回に藤本吉紀(2年)のタイムリー二塁打で勝ち越して何とか勝利をつかみ取った。

 冒頭の言葉を発した藤岡の気持ちは野手への感謝も含まれていたことだろう。
 指揮官も鬼門と語っていた初戦を突破し、連覇への道はつながれた。しかし19個の三振は決して良いことばかりではない。時にはあえて打たせることで、野手を守らせる機会を与えるのもエースの役割のひとつだ。その意味では最後まで、100パーセントの“余裕”は戻り切らなかったように感じられた。

<了>
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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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