サッカー界の汚職とイングランド=FIFAとFAの対立の歴史

対立が表面化したのは初めてではない

ファウリン(写真)を不当に獲得したQPRには罰金こそ科したものの、勝ち点ははく奪せず。FAは自身のテリトリーでは異なる物差しを使っている 【Getty Images】

 イングランドとFIFAの対立関係が表面化したのは今回が初めてではない。イングランドは創立の2年後にあたる1906年にFIFAに加盟したが、それは08年のロンドン五輪開催に向けた利益を得るのが目的であり、要求したドイツの追放が受け入れられなかったことで第一次世界大戦の終結前に脱退した。24年に再び加盟するも、4年後にはFIFAが決定したプロ化に反対して再び脱退。完全にFIFAの一員となったのは47年で、初めてW杯に参加したのは大失敗に終わった50年のブラジル大会だった。

 しかしながら、イングランドのメディアは66年大会で起こった出来事についての言及だけは極力避けてきた。当時非常に強く、開催国イングランドの初タイトル獲得を脅かす存在だった南米大陸のアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイは、不当な形で敗退に追い込まれた。

 大会2連覇中のペレを擁するブラジルは、レフェリーにほとんど見向きをされぬままグループリーグで衝撃の敗退を喫した。ウェンブリーで行われた準々決勝イングランド対アルゼンチン戦の勝敗は、アルゼンチンのキャプテンであるアントニオ・ラティンがドイツ人レフェリー(ルドルフ・クライトライン)に命じられた不可解な退場で決まった。この判定を検証すべく、試合が長時間中断されたことがきっかけとなり、70年のメキシコ大会ではゲームの迅速化を図るべく、史上初めてイエローカードとレッドカードが導入されたのだった。

 別の準々決勝、ドイツ対ウルグアイ戦では、イングランド人レフェリー(ジェームズ・フィニー)がウルグアイのトロチェとシウバを退場処分とすることで、欧州の同胞にアドバンテージを与えた。そして決勝では、ゴールラインを割っていないように見えたジェフ・ハーストの疑惑の決勝点が認められるという形で、そのドイツがイギリス製の薬を飲まされることになった。

自身のテリトリーでは異なる物差しを使うFA

 イングランドのサッカー界にとって、汚職という概念が常に変わらない特別なものならば、FIFAを脱退する必要はないだろう。再度の脱退や会長選でブラッターに反対票を入れるといった脅しを行っているFA自身、先日、アルゼンチン人FWアレハンドロ・ファウリンを不当に獲得したクイーンズ・パーク・レンジャース(QPR)に87万5千ユーロ(約1億2000万円)の罰金を科している。QPRは彼の活躍もあり、プレミアリーグ昇格を勝ち取ったのだった。

 QPRの株主の中には、F1界の重鎮であるバーニー・エクレストンとフラビオ・ブリアトーレ(彼は鋼材業界の成金ラクシュミー・ミッタルに持ち株の20%を売却した)、そしてスペイン元首相ホセ・マリア・アスナールの義理の息子アレハンドロ・アガグが名を連ねる。

 これらの株主にとっては罰金の支払いなど大した問題ではないだろう。うわさされていたように勝ち点のはく奪という形で処分が科されていれば、おそらくチームはもう1年チャンピオンシップ(2部)でプレーすることになっていたのだから。

 どうやらFAは、自身のテリトリー内においては国際レベルのそれとは全く異なる物差しを使っているようだ。

<了>

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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