永遠のエル・ハジ・ディウフ

 エル・ハジ・ディウフ(30歳)は2009年4月以来、セネガル代表でプレーしていない。最も輝かしいキャリアを持ったプレーヤーだが、“テランガのライオン”(セネガル代表の愛称)からは引退してしまった。

 ディウフは現在、スコットランドのレンジャーズでプレーしている。所属はブラックバーンで、貸し出し中というわけだ。代表はすでに引退していて、時折、セネガル協会の無秩序を批判する。ディウフが不在でも、若い選手を中心にしたセネガルは2012年アフリカ・ネーションズカップ予選で良いパフォーマンスを見せているのだが。
「周知の通り、アフリカは大きな問題を抱えている。協会のリーダーはサッカーから得られるお金が大好きだが、サッカーそのものは好きではない。それが最大の問題なのさ」

 ディウフは思ったことを口にする。
「協会の連中はわれわれの世代を恐れている。さらに前の世代もね。けれども、セネガルのサッカーを改善できるとしたらわれわれなんだ。なぜなら経験があるから。例えば、トニー・シルバは若いGKに多くのものをもたらせるはずだ。現在のGKコーチは年を取りすぎているし、ハイレベルのサッカーを経験したことがない」

 2002年のワールドカップ(W杯)日韓大会で、ディウフを中心としたセネガルはベスト8まで進んだ。アフリカ勢では90年のW杯イタリア大会で準々決勝に進出したカメルーンと並ぶ快挙であり、ディウフの名声はファンの間では揺るぎない。しかし一方で、02年以来プレーしている英国では彼の評判は対照的なものだ。

 例えば、こんなことがあった。今年1月、ディウフがまだブラックバーンでプレーしていたとき、チームメートのガエル・ジベがQPRのジェミー・マッキーにタックルして、マッキーが骨折してしまった。タックル自体はさほど悪質ではなかったのだが、QPRの選手たちは一斉に抗議を始めた。タックルしたジベにではなく、ディウフに対してだ。ディウフが骨折したマッキーの足を見て、かなりひどいことを言ったからだった。マッキーいわく、「タックルしたジベでさえ動転していたのに、あいつはここで繰り返せないような言葉を言ったんだ。サッカー界には良いやつもいるし、悪いやつもいる。ただ、あいつは問題外だ」。

 ムアマル・カダフィと会ったことも、ちょっとしたスキャンダルになっていた。ディウフによると、カダフィとは2、3回会ったことがあり、カダフィはディウフのプレースタイルが好きだと言っていたという程度のことだが。
 新聞紙上で、かつてのチームメート、リバプールのジェイミー・キャラガーにかみついたこともあった。「もし、キャラガーみたいな選手が10人もいたら、リバプールは何も勝ち得なかっただろう。彼はケチャップかマスタードみたいなもので、重要な存在ではない」と。リバプール在籍時も話したことがなく、ディウフによれば「おれが何倍もの金を稼ぎ、ずっと有名だったので嫉妬(しっと)していたのだろう」。

 だが、ディウフの批判の多くはアフリカ人に向けられている。多くのアフリカ出身選手と同じく、彼もチャリティー活動や寄付を行っているが、批判も忘れない。
「金を出すのはいいさ、でも忘れちゃいけないのは、アフリカ人が怠け者だということだ。とにかく働かないんだよ! ヨーロッパの人間は朝早く起きて働くけれど、アフリカ人はそれができないんだ」

 こうした発言がアフリカでの彼の人気に影響するとは、考えていないようだ。02年の快挙によって、彼は自分が生きる伝説になったと思っている。
「おれがキャリアのトップにあった時、おれがセネガルを世界的に有名にした。それは事実だからね」
「若い世代はわれわれのやったことを気にかけていないかもしれない。けれども、セネガルではエル・ハジ・ディウフを無視してサッカーを語ることはできないんだ。問題はプロフェッショナリズムが嫌われていることさ。本当のことを言おうか、アフリカ人は平凡であることが好きなんだ。だから、どこへも行けない」

 ディウフはコーチングライセンスを取得しようとしている。
「監督は役員の友人が選ばれる。市場でココナツを売っているような男さ。それじゃダメでしょ。おれはグアルディオラやモリーニョを見てきたし、おれのボスだったサム・アラダイスやウォルター・スミスがどうやって働いているのかを知っているからね」

 ディウフは自分が最高のセネガル人選手と信じて疑わない。
「子供のころ、有名なプロ選手になりたかった。おれはプレミアリーグで200試合プレーした唯一のセネガル人だ。50年間で最高のセネガル人選手に選出されたけど、50年というのはセネガルが独立してからの年数だよ。つまり、おれは史上最高の選手で、この先50年経ってもそうだろうね」

<了>
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著者プロフィール

1965年10月20日生まれ。1992年よりスポーツジャーナリズムの世界に入り、主に記者としてフランスの雑誌やインターネットサイトに寄稿している。フランスのサイト『www.sporever.fr』と『www.football365.fr』の編集長も務める。98年フランスワールドカップ中には、イスラエルのラジオ番組『ラジオ99』に携わった。イタリア・セリエA専門誌『Il Guerin Sportivo』をはじめ、海外の雑誌にも数多く寄稿。97年より『ストライカー』、『サッカーダイジェスト』、『サッカー批評』、『Number』といった日本の雑誌にも執筆している。ボクシングへの造詣も深い。携帯版スポーツナビでも連載中

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