小笠原、関口、梁が復興支援試合で示したもの=被災地を知る男たちが抱える葛藤と決意

元川悦子

サッカーも助け合いだと実感

関口は「一生懸命やる姿を見せられた」と被災地へ向けて、あきらめない姿勢を示した 【Getty Images】

 3−4−3の新布陣で挑んだ日本代表のスタメンは、1月にAFCアジアカップ2011を制覇した主力が中心だ。仙台市出身の今野泰幸は最終ラインの中央に陣取った。対するJリーグ選抜は小笠原、梁が先発。かつてベガルタでプレーした佐藤寿人もFWで先発した。
 シーズン佳境の欧州組が大半を占め、加えて26日から合宿をしていた代表に比べると、Jリーグ選抜はどうしてもコンディション面でも連係面でも劣る。小笠原も関口も1週間以上、まともに練習ができず、明らかに体が重かった。それでも佐藤が「みんな、立ち上がりから120%の力でプレーしているところを見せなきゃっていうのがあった」と言う通り、頭からすさまじい勢いで飛ばしていった。

 しかし、急造チームは連動した守備と球際の強さを誇る日本代表を凌駕(りょうが)できず、劣勢を強いられた。小笠原もパスを後輩の内田にたびたびインターセプトされ「ミスばっかりでふがいなかった」と自身の不出来を悔やんだ。この試合が結果第一ではないことが分かっていても悔しさは隠せない。いかにも負けず嫌いの小笠原らしいところだ。
 それでも、この日は「周りにすごく助けてもらった。サッカーも助け合いなんだなと実感した」と新たな発見もあったという。「みんなで助け合えば必ず被災地も復興できると思う」と彼は自らに言い聞かせるように語っていた。

 梁にしても、最初は3トップの右だったが、ずっと同じ位置にいるだけでは崩し切れないと判断。途中から左サイドや中央に動き始める。小笠原や小野伸二らと話し合ってお互いの良さが出るように試みた。だが、日本代表の遠藤保仁の直接FK、岡崎慎司の追加点が重くのしかかり、前半は2−0で終えることになった。

ベガルタコールがずっと胸に響いていた

 小笠原は45分で交代。梁は引き続きプレーを続行。後半は日本代表の8人が交代したこともあって、ややJリーグ選抜が盛り返す。後半9分には梁が原口元気からパスを受けて思い切ったミドルシュートを放つなど、やっと彼らしい積極性が表に出てきた。

 後半17分から関口やカズが出てくると、Jリーグ選抜の攻撃がさらに迫力を増した。29分に原口と平井将生がワンタッチでつないだパスを受けた関口が決定的なシュートを放つ。スピードに乗ったいい動き出しだったが、肝心のシュートがわずかに枠を外れた。この8分後にカズが値千金のゴールを奪ったことから、関口は「自分さえ決めていれば、カズさんが点を取った時に同点になっていたし、もっと盛り上がったと思う」と心底、悔しがった。出場時間も30分程度にとどまったが、「今の自分のコンディションを考えるとあのくらい。一生懸命やる姿勢を見せられたんですごく良かった。今日もスタンドからのベガルタコールがずっと胸に響いていたし、試合をやった意味があるのかなと思った」とすがすがしい表情を見せた。

 最終的に日本代表がJリーグ選抜を2−1で下したこのゲーム。仙台市でのテレビ視聴率は25%を超えたという。梁や関口、あるいは今野や佐藤のプレーを待ち望むファンが多かったからこそ、この数字がたたき出されたに違いない。「1人でも多くの人が元気になってくれるように努力したいし、地域全体で盛り上がっていきたい。ベガルタもまともに練習できなくて出遅れるかもしれないけど、気持ちでカバーして優勝争いができるように頑張りたい」という関口の言葉に共感した人は少なくないだろう。そして梁もこのゲームを機に、4月23日のJリーグ再開への臨戦体制を整えていくつもりだ。
「こんな2度とできないんじゃないかというメンバーの中でやれたのはすごくいい経験。再開後の自分に生かしていきたい」

被災地を知る彼らの思いを大きな力に変えて

 国内で戦う選手たちは今後、Jリーグ再開に向けて再びコンディション調整に入ることになる。ピッチで結果を出すことが彼らの第一の使命であることは間違いない。と同時に、チャリティーマッチで生まれた支援の輪をより広げることにも尽力する必要がある。

「今は必要な物資を集めて送っていますけど、必要な物も地域や避難所によって違ったりする。そういう情報を鹿島や他チームの選手たちに伝えながら、物を集めて送ることはこれからも続けたいです。少年たちとサッカーをする活動もホントはみんなで行ければいいけど、そうもいかない。一番いい形を探しながらやっていくつもりです。欧州組も協力してくれるって言うんですごくありがたかった。シーズンが違うし、いろいろクリアしなきゃいけない問題もあるけど、何とかみんなで力を合わせたい。音頭を取るのは慣れていないけど、自分は岩手が地元だし、できることはやっていきたいですね」と小笠原はあらためて自身の役割を肝に銘じていた。

 被災地の実情を知る彼らの思いをサッカー界全体に伝え、大きな力に変えていくことができれば、チャリティーマッチも大成功だったと言える。重要なのは今後。支援の輪を広げていくのはこれからである。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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