大本命・日大三はセンバツで優勝できない!?=神宮大会優勝校にまつわるジンクス

松倉雄太

『神宮大会優勝校は選抜で優勝できない』というジンクス

 第83回選抜高校野球大会の開幕まで1カ月を切った。出場校の多くは合宿を行うなど、本番へ向けての練習により一層励んでいることだろう。

 この選抜大会で、毎年のように『優勝候補』に挙げられるのが、前年の明治神宮大会優勝校である。しかしいつ頃からか、『神宮大会優勝校は選抜で優勝できない』というジンクスがささやかれるようになった。

 明治神宮大会の出場校が秋の地区大会優勝校ばかりの10校出場となったのは2000年から。ただ、それ以前から地区大会優勝校を集めようという動きがあった。その初めが1996年である。以降、神宮優勝校の選抜での成績を並べるとこうなる。

1996年 上宮高=ベスト4
1997年 横浜高=優勝
1998年 日南学園高=ベスト8
1999年 四日市工高=2回戦
2000年 東福岡高=ベスト8
2001年 報徳学園高=優勝 
2002年 中京高=3回戦
2003年 愛工大名電高=準優勝
2004年 柳ヶ浦高=1回戦
2005年 駒大苫小牧高=出場辞退
2006年 高知高=1回戦
2007年 常葉学園菊川高=3回戦
2008年 慶應義塾高=1回戦
2009年 大垣日大高=ベスト4
2010年 日大三高=?

 97年の横浜高は松坂大輔(現・米大リーグ・レッドソックス)を中心に春夏連覇を達成した最強チーム。2001年の報徳学園高は選抜で全試合完投した大谷智久(現・千葉ロッテ)が、神宮では1試合も投げずに優勝と完成度の高いチームだった。
 これを最後に優勝校は出ていない。73年に高校の部が設置されてから、横浜高、報徳学園高以外で優勝したのは83年の岩倉高のみ。つまり36年間で3校しか優勝できていないのだ。1回戦敗退が3回あることからも、最初に記した『優勝できない』ジンクスがささやかれ始めたのだろう。

なぜ神宮大会優勝校が、選抜で優勝できないのか

 その要因としてはいくつか考えられる。
 まず優勝候補に挙げられ、本番ではプレッシャーになってしまう点。これは神宮を制したという事実だけが、独り歩きしてしまい、その中身が忘れ去られてしまいがちになることに原因があると考える。顕著な例が2008年の慶応義塾高。この時はエースの白村明弘(現・慶応大)が大黒柱で関東チャンピオンになっていた。神宮を制したことで、評判が増したのは言うまでもない。しかし、神宮決勝の天理高戦ではチームで6失策。相手も合わせると9失策という乱戦だった。それに加え、夏ベスト8から短期間で仕上げたチームで実戦経験は不足していた。翌年春は頼みの白村が不調に陥り、選抜では1回戦で開星高に1対4で敗れた。
 各チーム冬場に当然強化を図るが、試合ができない状況では、なかなか実感が得られない。大会前にいくつか試合を組めるが、それだけで埋められないのが春の難しさと言える。

 次に挙げられるのが、神宮大会で、丸裸にされるという点。神宮大会では、選抜に出場するであろう多くの関係者が視察する。昨秋も、横浜高の小倉清一郎コーチや、智弁和歌山高の高嶋仁監督などの姿がスタンドで見られた。神宮に出場する監督やコーチの中にはこの部分を気にする人も多いと聞く。確かに視察する側にその利点はあるのかもしれないが、筆者はこれを否定したい。
 高校生の冬場の成長力は現場にいる監督やコーチが最も感じているだろう。つまり神宮大会だけでは参考にはなっても、あてにはできないのだ。むしろ秋に代表して出場する10校の戦いを目に焼き付けることで、大いに刺激を受け、それが春へ向けての発奮材料になるという見方の方が大きい。形は違えど、選抜を見て、夏への糧とするのと同じ考えだ。選抜で『夏への研究とされるから』と考えて戦う監督やコーチは皆無だろう。

日大三高は“優勝候補”のプレッシャーを消せるか

 さて、2010年の明治神宮大会を制したのは日大三高だった。当然のようにどのマスコミも選抜で優勝候補に挙げている。しかし忘れてはならないのがその内容だ。エースの吉永健太朗が3試合すべてで完投。打線も3試合で25安打、3本塁打と投打に完成度の高さを感じた。1日の順延があった決勝は近年にはない両チーム無失策の好ゲームだった。また、本気で神宮連覇を狙いにきた大垣日大高など、各チームの戦いもより拮抗(きっこう)した大会だった。
 これがプレッシャーになるか、自信になるかは、春先のモチベーション次第である。
 明治神宮大会は甲子園へ向けての大会ではなく、世代最初の全国ナンバーワンを決める大会だ。ことしの日大三高が、全国制覇を最初に達成したことを誇りにできれば、プレッシャーは消え、本番で力を発揮することができるだろう。

 そして現在、全国の高校生の目標となるチームが日大三高であることも誇りと思ってほしい。
 日大三高の戦いぶり、そして同校を目標にして強化してきたチームの戦いぶりを楽しみに春を待ちたい。

<了>
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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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