頼もしいキャプテン長谷部が見据える先=ザックジャパンの成長と課題
準備が整わない中で臨んだアジアカップ
ザッケローニ監督からの信頼も厚い主将の長谷部(右) 【Getty Images】
「カップの持ち方が分かんなくて、誰かに持ってもらおうかなと思ったんですけど、周りから『やれ』って言われたからやりました」とテレ笑いを浮かべた長谷部は、激戦を終えた安堵(あんど)感を素直に表現した。
今回のアジアカップ制覇に至るまで、ザッケローニ監督率いる新生・日本代表はさまざまな出来事に直面した。メンバーの半分しかそろわなかった大阪合宿、コンディションのばらつきを抱えたまま迎えた開幕、初戦・ヨルダン戦の予期せぬ大苦戦、シリア、カタール戦での2度の10人での戦い、松井大輔、香川真司という攻撃のキーマンの離脱、そして韓国、オーストラリアとの死闘……。幾多の苦難を乗り越え、やっとの思いでアジア王者の座を奪還した日本。その道のりを長谷部の目線であらためて振り返ってみることにする。
彼が久しぶりの代表に合流したのは、大阪合宿2日目の12月29日。23人中13人がやっと集まった状態だった。長谷部は「次回大会予選免除の3位以内は最低限のノルマ。やっぱり優勝を目標にやらないといけない」と語気を強めたが、真剣にそうとらえていたのはワールドカップ(W杯)・南アフリカ大会経験者ら数人だろう。
年が明け、遠藤保仁 や今野泰幸ら南ア組が加わってドーハへ移動。臨戦態勢に入ったが、酒井高徳と槙野智章がケガで登録変更を強いられるなど、開幕前から不安が募った。ザッケローニ監督も「ほかのチームは大会前に親善試合をやっているが、ウチはできなかった。コンディションのばらつきをコーディネートするのが難しかった」と本音を漏らしている。
指揮官ですら半信半疑の状態で挑んだ9日のヨルダン戦は、やはりプレースピードが上がらなかった。ボールは支配するものの、相手の守備ブロックをこじ開けられず、逆に守備の連係ミスから吉田麻也がオウンゴールを献上。最後の最後にCKから長谷部が巧みなクロスを入れて吉田の同点弾につなげたが、負けていてもおかしくない展開だった。
「先制点を取られたのはゲームプラン的に最悪。今日はウチが支配してパスも回していたけど、ボールが入ってから考える時間が長かった」と長谷部自身も反省しきりだった。
「若い選手に『お客さん感覚』があった」
「正直、若い選手に『お客さん感覚』があった。主力の何人かが優勝カップを取りたいって思うだけじゃなくて、みんなそう思ってほしいと伝えました。練習や普段の生活の中でもサッカーに懸ける思いはもっと持てるはず。そういう意味でもまだ甘いと思ったし、全員でアジアカップを勝ち取る方向に進もうと僕は言ったつもりです」
このミーティングは非常に意味のあるものだったが、ザッケローニ監督が初めて言葉を荒げたのも大きかった。普段、温厚な指揮官が語気を強めて改善を促せば、選手たちの心にも響かないはずがない。若いメンバーもようやく自分たちのやるべきことに気づいた。
柏木陽介もこんな話をしていた。
「最初は代表でどうやっていいのか分からへんかった。練習でも主力との差がありすぎて、『おれら出られへんやろ』っていう変な団結がサブにあった。おれらの世代は試合前に静かに集中するってことがなかったけど、代表はそうじゃないって気づかされました」
ザッケローニ監督も「振り返ってみると、チーム一丸となれた瞬間はヨルダン戦からシリア戦までの期間だった」と言う。そこでベテランと若手の融合を効果的に図った長谷部のリーダーシップを指揮官は大いに褒めていた。
長谷部自身、南アでキャプテンを務めた時と今回では「自覚」が全く違った。
南アの時は「流れを変えたい」という理由から中澤佑二が巻いていたキャプテンマークを急きょ、渡されることになった。チームには川口能活、楢崎正剛、中澤、中村俊輔といった長年代表をリードした年長者がいて、遠慮しながらキャプテンをやっていた。「僕は一時的にマークを預かっただけ」という発言を繰り返していたのも、気配りの表れだっただろう。しかし今回は「今まで引っ張ってくれた選手が抜けたんで、自分たちがやっていかなきゃいけない気持ちはあります」と語り、自ら積極的にチームに働きかけを行っていた。
意識の変化が如実に出たのが、13日のシリア戦だった。長谷部は攻守両面でアグレッシブに動き回って中盤を支えながら、貴重な先制点をゲット。後半27分の川島永嗣の退場シーンではレフェリーに毅然(きぜん)と抗議した。熱くなる時も決して自分を見失わない。それが彼のキャプテンたるゆえんである。薄氷の勝利を手にした後も「こういう雰囲気の中でももっともっと冷静に自分たちのプレーをしないといけない」と気を引き締めていた。