アジアカップの終わりに=日々是亜洲杯2011(1月29日)

宇都宮徹壱

アジアカップ優勝の意義と忘れてならない問題

日本は2大会ぶり、最多4度目のアジア王者に輝いた 【Getty Images】

 試合後、会場にはJAM Project(ジャム・プロジェクト)の『VICTORY』が流れた。ドーハで聴く日本語のアニメソングは、実に奇妙な爽快感を与えてくれる。ともあれ日本は、7年ぶりに優勝トロフィーを祖国に持ち帰ることとなった。ただしこの快挙には、さまざまな意義が含まれていることを強調しておきたい。まず、日本の4回目の優勝は、サウジやイラン(いずれも3回)を抜いて最多となった。そして、2年後にブラジルで開催されるコンフェデレーションズカップに、日本は「AFC代表」として出場する権利を得た。それからもうひとつ、ロングボールばかりを多用するオーストラリアに、アジアの覇権を渡さずに済んで本当に良かったと、個人的には深く安堵(あんど)している。4年後のアジアカップでホスト国となるオーストラリアは、今大会が終われば大きな世代交代を迎えるはずだ。この次に対戦するときには、彼らはどんなサッカーを志向しているだろうか。

 もっともこの日の決勝は、完全に相手のサッカーに押し切られてしまい、日本らしさをほとんど出せなかったことは認めなくてはなるまい。ポゼッションこそ上回っていたものの(日58、豪42)、シュート数は日本9(枠内3)に対してオーストラリア20(同8)。とりわけキューウェルには、実に8本ものシュートを許していた。いかに川島のファインセーブに助けられていたか、これらの数字からも容易に理解できる。日本は李のゴールで勝つことができたわけだが、川島のおかげで負けずに済んだとも言えよう。

 結局のところ、決勝のオーストラリア戦にしても、準決勝の韓国戦にしても「どちらに転んでもおかしくない」試合内容だった。またそれ以前の戦いも、思わぬリードを許したり、退場者が出て10人になったり、次から次へとアクシデントに見舞われた。しかし、そのたびにチームは驚異的な反発力を発揮し、日替わりでヒーローが出現しては劇的な勝利を収めていった。今大会の日本の勝因を3つ挙げるなら、スタメンもベンチも関係なく一丸となっていたこと、試合を重ねるごとに選手のコンディションとコンビネーションが高まっていったこと、そしてザッケローニの人心掌握とさい配が随所で光っていたこと、である。もちろん「サッカーの質」という意味での成長は、まだまだこれからといったところだ。それでも、今大会で経験したさまざまな試練と成功は、多くの教訓と経験値を個々の選手にもたらしたはずだ。その意味で若き日本代表は、十分に成長したと言える。

 しかし一方で、忘れてならない問題もある。それは言うまでもなく、今大会に臨むにあたって、ザッケローニと選手たちに極めて苛酷なスケジュールを強いたという事実だ。「大会を通してコンディションを上げていく」というのは、言葉で言うほど簡単ではなかったはずだ。そもそも、本来オフであるはずの選手を酷使したツケは、必ずどこかで精算を求められるだろう。実際、ザッケローニも「今日の決勝に臨むにあたって、フィジカルで(選手は)ギリギリだった。(中略)今日の試合に関して、自分たちの力以上のものを出し切ったと思っている」と語っている。日本だけではどうにもならない話とはいえ、選手に必要以上の負担を強いるアジアの日程問題は、今後も積極的に精査・議論されるべきである。少なくとも「頑張って優勝した」という美談に埋もれさせてはいけない。

オーストラリアの次は、日本でアジアカップが見たい!

紙吹雪が舞い、花火が上がってカタール大会は無事に閉幕。次回はオーストラリア大会である 【宇都宮徹壱】

 かくして、カタールで23日間にわたって繰り広げられてきたアジアカップの熱戦は、私たちにとって最高の大団円を迎えることと相成った。当連載を締めくくるにあたり、最後に「アジアカップの未来」について言及しておきたい。既述のとおり、次回大会は4年後、オーストラリアで開催されることが決まっている。その次のアジアカップは、ぜひとも日本で開催してもらいたい――そう、私は密かに夢見ている。

 次々回大会を日本で開催するだけの下地は、十分にそろっていると言えよう。東南アジア4カ国(07年)、カタール(11年)、そしてオーストラリア(15年)とくれば、次は間違いなく東アジアだ。日本はすでに1992年に開催実績があるが、現時点でも19年が経過しているし、あの時は広島だけの開催だった。W杯招致のように「早すぎる」と批判を受けることもない。そして今大会を通じて、日本国民の間にも代表が参加する国際大会は「W杯だけではない」ことが広く認識されただろうし、W杯とは違った魅力も十分に伝わったと思う。「日本でアジアカップを!」という呼びかけに対して、国民的なコンセンサスを得るのは、さほど難しい話ではないように思える。

 運営と競技施設については、まったく心配はいらないだろう。特に後者については、W杯のように巨大スタジアムを新設する必要はまったくなく、既存のもの(それも2万人程度のキャパ)で十分に対応できる。開催都市は基本4会場だから、たとえば仙台のユアスタ、東京の国立、大阪の長居、そして鳥栖のベアスタあたりを準備すれば十分だろう。会場選定については、アクセスが良いこと、規模が大きすぎないこと、そしてできればサッカー専用であることが望ましい。また余談ながら、アジアの玄関口である九州は、絶対に外せない開催都市であると考える。

 さて、ここで重要なのが開催年である。私は8年後ではなく、9年後の20年を想定している。つまりW杯の中間年に戻すのだ。この件については、すでに小倉純二JFA(日本サッカー協会)会長も発言しているが、アジアカップのW杯翌年開催は、アジアのナショナルチームに負担を強いるばかりで、ほとんどメリットがないことが明白となった。であるなら、ここは日本がホスト国となり、アジアカップ開催年を元に戻すためのキャンペーンを張るのが一番の近道だ。と同時に、中東に移ったAFC内の主導権を再びイーブンに戻す契機にもなろう。いずれにせよ、20年のアジアカップ日本開催が成功すれば、事はサッカーだけの話にはとどまらず、アジアの国々の視線を再び極東に振り向ける好機にもなるはずだ。JFAの皆さんには、ぜひ真剣に検討していただきたい。サッカーの国際イベントは、何もW杯だけではない。アジアカップという素晴らしい大会もあるのだから。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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