今宮らが振り返るセンバツ“運命の一日”
球児たちは、何よりも長く感じるであろう1日をそれぞれどのような思いで過ごすのだろうか。かつてセンバツの舞台に立ち、現在はプロ野球選手となった3人の選手に、「Xデー」を振り返ってもらった。
「時間が経つのが遅くて…」
1年秋から「4番・捕手」を任された攻守の要。秋季関東大会は決勝戦で慶応高に敗れたものの、準優勝の結果ならばセンバツ出場は確実なものだった。それでも、山下は2年前の発表当日を「朝から時間が経つのが遅くて……。とにかくハラハラしました」と振り返る。
「登校して普通に授業を受けましたが、全然身が入らなくて(笑)。午後の授業が終わり、グラウンドまでは自転車移動。15分くらいの道のりですが、それもいつもよりも長く感じました。午後4時くらいに到着して、すぐに着替えて集合。そこに校長先生が来て『センバツ切符の電話がありました』と話がありました。メッチャ嬉しかったですね。甲子園でプレーをできるということが信じられませんでした。祝賀会? そんなのないですよ。普通に練習しました。いや、むしろ長かったですね。いつもは夜9時くらいで終わるのに、あの日は10時半までやりましたから。監督が僕らを浮かれさせないようにしたんじゃないですか(笑)」
センバツ本戦では1回戦で彦根東高にサヨナラ勝ちしたが、2回戦では利府高にサヨナラ負けして敗退した。
「秋の千葉大会決勝も、関東大会もサヨナラとか1点差ばかりでした。その経験のおかげで野球の怖さを知ったし、接戦の中で試合の流れを読む力を培うことができました」
ことしはプロとして新たなスタートを切る。「1日でも早く1軍に上がりたい」と話す表情からは、もう、あどけなさは消えていた。
センバツが野球人生を変えた
「1年秋の九州大会では優勝。2年秋は準決勝で今村(=猛、現・広島)のいる清峰高に負けてベスト4でした。僕は、発表当日は特に緊張しませんでしたね。あ、それでも最初の出場決定のときは少し心臓バクバクだったかな(笑)」
特に印象深いのは3年春のセンバツ大会だという。2回戦で菊池雄星(現・埼玉西武)を擁する花巻東高の前に0対4と完敗した。
「菊池に手も足も出なかった。1打席目でライト前ヒットこそ打ちましたが、たまたまです。本当に悔しくて……。それから意識が変わりました。アイツと出会ってなかったら今の自分はありません」
また、今季から後輩になる山下とは甲子園でニアミスしていたという。
「先日、寮で山下があいさつに来たんですが、『センバツのときに甲子園のトイレで会って話をした』って言うんです。僕は覚えてなかったんですけどね(笑)」
今宮は今季プロ2年目。「まだ自主トレの段階ですが、何も分からなかった去年とは違う。1年目とは違う姿を見せられると思っています」と自信をのぞかせた。
当落線上ギリギリの球児も
01年の第73回大会に出場した甲藤啓介(高知高、現・福岡ソフトバンク)はそれを経験した一人だ。前年秋の四国大会の準決勝。高知高は小松島高に3対4で惜敗。もう一方の準決勝は尽誠学園高が鳴門一高に8対1と快勝し、決勝もその勢いのまま勝って優勝を果たした。この年の四国枠は3。上位2校は確定で、残る1枠を高知高と鳴門一高で争う形となった。
センバツ発表当日のことを、甲藤は「10年も前のことだからあまり覚えていない」と言ったが、「意外と楽観的だった」と振り返る。
「僕らは準優勝のチームに負けていたから不利という声もあったけど、試合内容は接戦だったし、(確定の)小松島高と鳴門一高が同じ徳島県だったから、地域性で僕らが行けると信じて待っていました」
その言葉通り、高知高はセンバツ出場権を得た。ただ、本戦で甲藤は悔しい経験をする。エースナンバーを奪われ、「4番・レフト」で出場。投手として開花したのは近大進学後。現在は福岡ソフトバンクの貴重な中継ぎ右腕へと進化を遂げた。
出場決定の瞬間からドラマが生まれるのがセンバツ。出場32校の球児たちの中から、またことしも未来のスターが生まれるだろう。
<了>
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