今のままではいけない――田嶋氏FIFA理事落選の意味

ミカミカンタ

日本は2期8年にわたって守ってきたFIFA理事の座を失う

AFC総会のFIFA理事選で落選し、さえない表情を見せる日本協会の田嶋幸三副会長=6日、ドーハ 【共同】

 去る1月6日、カタールのドーハで行われたアジア・サッカー連盟(AFC)の総会で役員改選が行われ、AFC選出の国際サッカー連盟(FIFA)理事に立候補していた日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三副会長兼専務理事(53)が落選した。田嶋はAFC副会長とAFC選出のFIFA理事、AFC理事に立候補していたが、AFC副会長については直前になって立候補を取りやめ、FIFA理事一本に絞って初当選を目指していたがあえなく落選となり、日本は世界のサッカー界における重要なポストを失ってしまった。なお、東地区の定数である3名しか立候補していなかったAFC理事については無投票により選出された。
 2002年から2期8年にわたって守ってきたFIFA理事の座であったが、今回なぜこのような事態になってしまったのか。そこには当然、アジアおよび世界のサッカー界における熾烈(しれつ)な権力争いがあるわけだが、日本協会と立候補した田嶋幸三自身に問題はなかったのか。今回のAFC役員改選についての詳細を記しておこう。

 AFCは加盟国46、準加盟国1の47カ国から成り、以下の4地区に分割されている。

<西地区> 12カ国
イラク、バーレーン、ヨルダン、クウェート、カタール、レバノン、オマーン、パレスチナ、サウジアラビア、シリア、アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン

<中央・南地区> 13カ国
アフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、インド、モルディブ、ネパール、パキスタン、スリランカ、イラン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン

<東南(アセアン)地区> 12カ国 ※ブルネイは資格停止中のため投票権を持っていない
オーストラリア、ブルネイ、カンボジア、東ティモール、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム

<東地区> 9カ国(10カ国) ※北マリアナは準加盟国のため投票権を持っていない
中国、香港、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、韓国、グアム、日本、チャイニーズ・タイペイ、マカオ、モンゴル、(北マリアナ)

 上記の加盟国から会長1名、副会長4名(各地区から1名)、理事12名(各地区から3名)の役員を選出している。また、AFC選出のFIFA役員として副会長1名、理事3名がいる。今回の役員選挙ではFIFA理事を兼任するAFC会長のモハメド・ビン・ハマム・アル・アブドゥッラ(カタール)に対立候補が現れず無投票で再任。AFC副会長4名のうち、今回の改選3枠にはジャン・ジロン(中国)、ガネシュ・タパ(ネパール)、HRHテンクー・アブドゥラー(マレーシア)が選出された。田嶋は同じ東地区から立候補していた現職のジャン・ジロンには勝てないと踏んで直前になって立候補を取り下げたと思われる。
 問題はFIFA理事だ。
 今回は先に述べた通り、FIFA理事を兼任するハマム会長が無投票で再任を決めているため、残りの2枠が改選枠となった。
中央・南地区からベロン・マニラル・フェルナンド(スリランカ)、アセアン地区からウォラウィ・マクディ(タイ)、そして東地区からは田嶋幸三とジャン・ジロンが立候補し、その4人で改選2枠を争った。

選挙結果にはAFC会長ハマムの影響力が色濃く反映

 日本には1994年に村田忠男、97年に川淵三郎、98年に小倉純二がそれぞれFIFA役員に立候補しながら破れてきた歴史がある。やっと理事として当選を果たしたのが2002年の小倉だ。33年前には日本の役員もいたが、現在につながる日本サッカー協会としては初めてと言っていいFIFA理事のいすだった。
 日本は小倉の定年による退任に伴い、2期8年間守ってきたいすを明け渡さなくてはならないため、その座を守ろうとして立候補させたのが田嶋幸三だったのだが、そもそも小倉が理事に当選した02年までは東アジアサッカー連盟は存在しておらず、アジアや世界の中で何とか東アジアの影響力を確保しようと、日本が中心となって東アジアサッカー連盟を設立し、ワールドカップを成功させて機運の盛り上がっている開催国の小倉を東アジアサッカー連盟加盟国が一致団結してFIFA理事に擁立して当選を果たしたのだった。とはいえ、その時もわずか2票差での当選だったし、その次の選挙(2007年)は有力候補と見られた西地区のアルダバルの急逝により対立候補が現れず、無投票での再任だった。ちなみに今回落選となったチョン・モンジュンがFIFA副会長となったのは94年、AFC会長のハマムがその座についたのは小倉と同じ02年である。

 選挙はそれぞれの改選枠について各国が改選定数の数だけ票を持っているが、同じ候補者に複数票を投じることはできない。自国の所属地区から立候補者がいれば1票はその国に投票するだろう。それが基礎票となる。しかし、残りの票については各国間でさまざまな駆け引きが行われており、そのロビー活動によって当選者が決まるといってもいい。FIFA理事の今回の改選定数は2枠だから、各国がそれぞれ2票を持っていた。しかしながら、日本が属する東地区はほかの地区と比べて9カ国と票数がもっとも少ない上に、昨年10月20日の東アジア連盟理事会で中国と日本の2カ国を推薦することが決定していた。候補者を一本化できなかったその時点で両国ともに勝てる見込みは薄かったのである。
 そこにきて日本は09年に行われたAFC選出のFIFA理事選挙で、韓国とともにハマムの対立候補のバーレーン人を支持し、2票差であえなく敗れた経緯がある。その後、韓国のチョン・モンジュンはハマムとの関係修復を図ったが、FIFA内でも絶大な力を持つと言われたチョンが今回FIFA副会長選挙に落選したことを考えれば、チョンの対立候補であったヨルダンのHRHプリンス・アリ・ビン・アル・フセインがFIFA会長のブラッターを味方につけたとはいえ、先のワールドカップ開催国決定でも力を誇示したハマムは、やはり自分に反旗を翻して造反した国を許してはいなかったのだろう。韓国ですらそうなのだから、かつては日本に信頼を寄せていたハマムに反旗を翻したまま、特に関係修復にも動かなかった日本などひとたまりもない。しかし、そのハマムも今回の再選が最終任期であり、その先はどうなるのか見当がつかない。

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著者プロフィール

1959年、北海道出身。フリーライター。出版社で編集員をしたあと、さまざまな職業を経て現職に。インタビュー物を得意とし、緻密な取材を重ねて、なんとか目に見える向こう側を見ようとする。仕事のフィールドはサッカーから省庁、ラーメン屋まで、著名人から達人、無名人まで多岐にわたる。1968年メキシコオリンピックの直後にサッカーボールを買ってもらい、サッカー一直線の人生になるかと思われたが、当時の北海道の片田舎には少年向け指導者が存在せず、遊びのまま終わる。『サッカー批評』(双葉社)『フットボールサミット』(カンゼン)などに寄稿。昨年12月に発売された『サッカー批評ISSUE49』では会長交代後、長い間沈黙を守っていた犬飼基昭前JFA会長の独占インタビューを掲載し、これまでのサッカーメディアのタブーを打ち破った過激なその内容はサッカー関係者、ファンの間に今なお大きな反響を呼んでいる。一方で、地道に地方クラブを足で回って取材した書籍を執筆中。週末にはフットサルを楽しむ若干メタボ気味の“ガラスの中年”。Twitterアカウントはknt_m

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