高校サッカー界に一石を投じた久御山のスタイル=ボール支配と効率性の追求
高校サッカーにプロ養成機関としての機能は求められていない
久御山の選手たち(えんじ)の笑顔は決勝で敗れた後にも輝いていた 【鷹羽康博】
昨年のW杯で日本代表は見事ベスト16入りを果たしたが、苦し紛れのクリアや成功率の低いロングボールボールが主体だったあのサッカーでは、今後もベスト16の壁を乗り越えることは難しい。高校サッカーの指導者も「高校サッカー」、「選手権」という枠に閉じこもることなく、その先までを視野に入れて、サッカー哲学やチームのスタイルを構築してもらいたい。
「片や(Jユースは)プロ養成所ですよね。わたしどもは教育の一環で、別にそれで逃げるわけではありません。いずれは(Jユースは)そういうスタイル(=プロ選手の育成機関)になるだろうと思いますが、その途中の段階だと思います」
流通経済大柏の本田裕一郎監督は準決勝後の会見で、Jユースと高校サッカーの現状と今後のすみ分けについて意見を述べていた。わたしもその意見に同意である。もはや、高校サッカーにプロ養成機関としての機能は求められていないと感じる。だからこそ、勝ち負けの結果のみで満足したり判断することなく、プレーすること自体が楽しいサッカーを追求し、なるべく多くの選手にその後もサッカーを続けてもらう、サッカーで人生を豊かにしてもらうことを模索すべきではないだろうか。そのためには、高校サッカーのため、選手権のためにすべての時間とエネルギーを懸けて戦うようなアンバランスなライフスタイルを見直す時期に差し掛かっていると思う。
重要なのは練習の質
だからこそ、世界のサッカー大国は技術と効率を重視するサッカースタイル、練習メソッドを確立し、その中で継続的にいい選手を育成しながら勝っている。全国レベルで見たときには決して能力の高くない選手が集まった公立校の久御山が、世界の育成現場で当たり前になっている練習法とサッカーで、そして笑顔で楽しそうに勝ち上がっていったことは非常に意義あることだったと思う。勝たなければ報われないようなサッカーではなく、サッカーをすること自体、練習から楽しいと感じて成長してきたからこそ、彼らの笑顔は決勝で敗れた後にも輝いていたのではないか。
「(サッカーは)ボールゲームだし、ボール扱い、コンタクトすることもスキルのうち。ボール扱いがうまいと、どちらのボールか分からないときもむしり取ってくるくらいの執着心が芽生えてくる。また、うまくなると頭を使ってボールを運ぶので、賢くなる」
これは決勝後、久御山スタイルを選んだ理由について質問した際の松本監督の回答の一部だが、非常に興味深い話だと思う。指揮官は、勝つことと選手を育てることを両立させるためには、徹底的に技術を高めないといけないと考えている。その過程で、選手はボールへの執着心やインテリジェンスまで身に付けてくれるという手応えを感じているのだ。久御山のスタイルや松本監督の哲学は、サッカーの原理原則にのっとったロジカルなものだと思う。わたしには「できるかできないか」の問題ではなく、「やるかやらないか」の問題にしか映らない。スタイルに多様性があるのは大いに結構で、すべてのチームが久御山スタイルになったとしたら、それはそれで面白くない。とはいえ、久御山スタイルが“バルサ”の冠が付くほど異質であるという現状は、変わりつつあるとはいえ、いまだ真に健全化されていない高校サッカーを端的に示していたように思う。
<了>