高校サッカー界に一石を投じた久御山のスタイル=ボール支配と効率性の追求
「久御山のサッカーは異質か?」
久御山はショートパスを主体に最終ラインから徹底的につなぐサッカーを貫いた 【松岡健三郎】
準決勝で滝川第二にPK戦の末に敗れた立正大淞南(島根)の南健司監督に試合後、「一発勝負の選手権のような大会でも、勝ちのみならずスタイルやポリシーを貫くことにこだわるチームが勝ち上がる印象でした」と感想を述べると、「ここ数年そういう大会に入ってきたなという気はします」と返ってきた。南監督は「(スタイルが明確な方が)分かりやすい、選手が成長しやすいというのは正直あると思います」と付け加えた。
スタイルを貫くという意味で、最も注目を浴びたのが準優勝校の久御山(京都)だ。ショートパスを主体にGKを含めた最終ラインから徹底的につなぐポゼッション型のサッカーを展開し、国立という大舞台、3万5000人を超える観客が見つめる中での決勝でも、開始直後から大きく蹴らずにつなぎながら前進してチャンスを作った。その久御山スタイルに好感を持った一方で、今大会の彼らのサッカーを見ながら抱いていたのは、「果たしてこのサッカーはそれほど異質なものなのか?」という率直な疑問だった。
能力の高くない選手だからこそ
「限られた地域の、限られた選手層の中から(選手が)来る」との松本悟監督の説明通り、公立校の久御山は京都のジュニアユースや府内の中学校でプレーしていた地元の選手たちで構成されている。全国レベルの私立校と違い、人工芝のサッカー部専用グラウンドがあるわけでも、他府県から能力の高い選手を獲得できるスカウト網や制度があるわけでもない。言ってしまえば、京都レベルではうまいけれど、Jクラブにも全国区の強豪校にも引っかからなかった選手の集まる普通のチームだ。だからこそ、準決勝後の会見では松本監督が「体力測定なんてやったら全チームの中で下から数えた方が早い」と冗談でも皮肉でもない真実を語っている。準決勝後、指揮官に「スーパーではない選手たちで決勝に行った意義は大きいのではないですか?」と尋ねると、「そうですね。うちでもできるんだということを証明できました」とうれしそうに返してくれた。
実際、久御山の選手の身体能力は相当に低かった。例えば、MF二上浩一は出場チームのボランチの中で、最も足の遅い選手ではなかったか。しかし、彼は技術と判断スピードで勝負し、十分に通用する。松本監督は二上のプレーをこう評する。「ボールポゼッションはすごくうまいのですが、そんなに足が速いわけじゃない。でも、サッカーなので走るコースやタイミングを変えれば、速い相手とやってもできる」。その二上は「ゲーム中心の練習で、ボール扱いはうまくなりますし、久御山に入って良かったなと思っています」と語る。
もし松本監督が、久御山の選手にロングボール主体のフィジカルサッカーをやらせていれば、個の能力で勝るチームには勝てなかっただろう。全国大会のファイナリストどころか、京都予選で勝てていたかも分からない。「能力」をどう定義するかの問題はあるにせよ、さほど能力の高くない選手が集まるチームを勝たせようとするなら、久御山のようなボールとエネルギーのロスが少ない効率的なサッカーを目指す方が得策だ。久御山と準決勝で対戦した流通経済大柏(千葉)の選手は、どう見ても全員が久御山の選手たちより能力が高かった。その証拠に、久御山の選手よりもボールを遠くに正確に蹴ることができていたのだ。それでも、PK戦とはいえ勝ったのは久御山だ。「小さな者でも、うまさで強い相手をひねるというロマンを追い続ける」という哲学を持つ松本監督の言葉通り、準決勝にはロマンがあった。
ボールが主役のサッカースタイル
その意味で、今回の久御山の躍進は高校サッカー界に一石を投じた。なぜなら、技術やボール支配にこだわるとともに効率性を追求することで、久御山よりも能力的なポテンシャルが高い選手や、厳しいトレーニングを行っているチームに勝ったからだ。彼らは1日何十キロも素走りするようなことはないし、毎日長時間の練習も行っていない。彼らのようなスタイルであれば、欧州のサッカー強国の育成現場と同じく週休2日、1日2時間以下の練習で十分だ。
あえてこういう言い方をするが、久御山レベルの普通の公立高が山崎雅人(広島)、森岡亮太(神戸)といったプロ選手を輩出したのは、ボールが主役のサッカースタイル、練習メソッドによるところが大きい。なぜ、久御山のサッカーに“京都のバルサ”と大げさな形容詞が付き、異質なサッカーとして大きな注目を集めたのか。それは、高校サッカーはまだまだ非効率な哲学、非科学的練習メソッドを持つチームが上位に食い込み、そうしたサッカーが目先の結果だけで賞賛や「強豪校」の称号が与えられているからにほかならないのではないか。