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吉田麻也、ポスト中澤・闘莉王を担う男

ヨルダン戦での大きなミスと大きなゴール

終了間際に同点ゴールを決めた吉田(右から2人目)。失点に絡むプレーもあったが、可能性を感じさせる内容だった
終了間際に同点ゴールを決めた吉田(右から2人目)。失点に絡むプレーもあったが、可能性を感じさせる内容だった【写真は共同】

 1月9日に行われた日本のアジアカップ初戦のヨルダン戦。カタールスポーツクラブに結集した白装束のヨルダン人から大歓声が沸き起こった。前半45分、長友佑都と長谷部誠の寄せを振り切ったアメルからパスを受けたハサンのシュートが日本のゴールネットを揺らしたからだ。吉田麻也はブロックを試みようと懸命に左足を出したが、逆にボールが当たってコースが変わり、守護神・川島永嗣の頭上を超えるという不運に見舞われた。

「遅れた状況で足を出すとああなってしまう」と本人も悔やむシーンだった。


 それでもオランダに渡って国際経験を積み、苦しい時期も乗り越えた189センチの長身DFは精神的に動じなかった。試合終盤には何度も前線に上がって攻撃の起点を作り、後半ロスタイムの同点弾を呼び込んだ。

「うれしいというか、何と言うか……。かなりホッとしました。ショートコーナーからクロスが入った時、相手がニアで引っかかる場面が多かったんで、ファーに飛びました。監督からそういう指示もあったし、長谷部さんのボールが良かった。それで点が取れたんだと思います」


 大きなミスと大きなゴール――。日本を地獄の淵から救い出した22歳のセンターバックは、国際Aマッチ2試合目にして強烈なインパクトを残すことになった。

大型ボランチからセンターバックへ

 長崎県出身で、中学時代から名古屋グランパスの下部組織でプレーしていた吉田。彼がサッカー界で広く知られるようになったのは、2006年の高円宮杯全日本ユース選手権U−18だった。ボール扱いとパスセンスに優れた大型ボランチを軸とする名古屋グランパスU18は決勝に進出。金崎夢生を擁する滝川第二高校に決勝で敗れたが、彼の存在感はひと際光った。


 翌年、トップ昇格を果たすと、オランダ人のフェルフォーセン監督の下、センターバックにコンバートされる。負傷者続出で選手層が薄くなったDFのバックアップ役という位置づけだったが、この出来事が彼の未来を大きく変えることになった。


 189センチという高さと足元の技術を兼ね備えた吉田は、プロ2年目の08年に北京五輪本大会に出場し、09年には名古屋最終ラインの軸に成長。シーズンオフにはオランダリーグ1部のVVVフェンロへの移籍が決まるなど、着実な成長を遂げる。そして10年1月のアジアカップ予選イエメン戦(3−2で日本が勝利)で待望のA代表デビューを飾った。

目の当たりにした中澤と闘莉王のすごさ

 当時の岡田武史監督は中澤佑二、田中マルクス闘莉王のバックアップとなる第3のDFを誰にするか決めかねており、吉田も大きなチャンスに直面していた。「吉田はフィードがうまいね」と指揮官もメディアの前で褒め言葉を口にするほど大きな期待を寄せていた。ところがこの直後、移籍したばかりのオランダで左足首を骨折。経過がかんばしくなく、5月には日本での再手術に踏み切った。順調にいけば自らもチームの一員として戦っていた可能性のあったワールドカップ・南アフリカ大会を、彼はリハビリの真っ最中で迎えることになった。


 中澤、闘莉王の両センターバックは幸運にもケガなく大会に参戦。高い壁として対戦相手に立ちはだかり、獅子奮迅(ししふんじん)の働きを見せた。彼らがいなければ、日本の16強進出はなかったといっても過言ではない。吉田も2人のすごさを目の当たりにさせられたという。

「中澤さんは代表で100試合以上出ている経験のある選手。ラインコントロールとか統率力とかすごくあるんで、学ぶところがたくさんあると思った。闘莉王さんも攻撃のビルドアップ能力がすごく高いし、かなり起点になっていた。存在感も大きくて、すべてにおいて僕をひと回りもふた回りもスケールアップさせた選手ですよね。名古屋でリハビリしている間も試合を見る機会が多かったけど、僕はすごく手本にしているし、レベルアップしないといけないと強く感じました」


 ピッチに立てない間も代表への思いを胸に秘めていた吉田。しかしザッケローニジャパンの本格始動には間に合わなかった。昨年10月のアルゼンチン、韓国の2連戦は離脱した中澤、闘莉王に代わって今野泰幸と栗原勇蔵が先発。非常に安定したパフォーマンスを見せた。高さのある栗原の台頭は吉田にとって脅威になると思われたが、その栗原が11月に左太ももを負傷。復帰が遅れ、このアジアカップでとうとう吉田に本物のチャンスが転がり込んできた。


 年末の大阪合宿で3−4−3と4−2−3−1の両システムにトライした時から、吉田はずっと主力組に入っていた。にわかに周囲が騒がしくなってきたのを本人も察知したのだろう。「急に注目を浴びることになって? うれしいですよ。この1年はほとんどメディアに出ることがなかったしね」と笑顔をのぞかせた。同学年の内田篤人、香川真司がすでに代表の軸を担っているため、「自分も早く定着したい」という意識が非常に強いようだ。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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