19歳の酒井高徳、駒野不在の間に代表定着を狙う=ザッケローニ監督期待のユーティリティープレーヤー

元川悦子

ザッケローニ監督が招集した19歳のアウトサイド

W杯でサポートメンバーとしてチームに帯同した酒井(右)。その経験は大きな財産となっている 【Getty Images】

 1998年、2002年、06年と3度のワールドカップ(W杯)に出場した小野伸二(清水)、岡田武史前監督に発掘され世界へと羽ばたいた内田篤人(シャルケ)、香川真司(ドルトムント)と、10代で日の丸を背負った選手は過去に何人かいた。彼らはその後に代表を担う存在となり、日本サッカーのレベルを大きく押し上げた。こうした先人たちの系譜を継ぐスケールの大きな新人が、アジアカップのメンバーの一員としてザックジャパンに現れた。その選手こそ、アルビレックス新潟でプレーする19歳のアウトサイド・酒井高徳なのである。

 日本人の父、ドイツ人の母を持つ彼は、10代前半のころから抜群の身体能力と運動量、ダイナミックなプレーで見る者を魅了してきた。新潟ユース時代にはジュニアユース代表、ユース代表へと順調にステップアップ。高校3年だった08年には、2種登録ながらトップデビューを果たす。そしてプロ2年目の今季は完全にレギュラーに定着した。主戦場は左サイドバックだが、年代別代表では2列目、右サイドバックも経験するなど、マルチな才能を備えている。

「今シーズンの新潟では左サイドバックでしたけど、僕は右も経験がある。どっちをやっても問題なくできます」と本人も自信をのぞかせるユーティリティー性をザッケローニ監督も高く評価したのだろう。負傷離脱中の駒野友一(磐田)の代役に据える決断をしたのだ。酒井が今回、カタールで行われるアジアカップで指揮官を納得させるような輝きを放てれば、06年W杯・ドイツ大会から4年半、駒野が担ってきた役割を奪うことも夢ではない。この好機をモノにすべく、彼は高いモチベーションを抱いている。

胸に秘めたる自信と闘志

 日本代表としての強い自覚は、これまでの年代別代表、そしてW杯・南アフリカ大会でのサポートメンバーの経験で養われた。酒井は昨年5月〜6月、世界の大舞台に挑む岡田ジャパンに帯同し、ピリピリする緊張感を共に味わった。練習では控えに回った中村俊輔(横浜FM)と一緒にウォーミングアップやパス回しをすることも多く、プレー1つ1つにアドバイスを受けた。

「俊さんには南アでいろいろ教えてもらいました。ボールを止める蹴るの基本的なことを指摘してくれたし、流れの中で気づいたことを細かく言ってくれて、ホント、勉強になりました。W杯みたいな緊張感のある場所で練習したり、チームにいるだけでもものすごい経験だった。自分の長所である速さやパワーは代表選手と一緒に練習していても通じるかなと思ったけど、俊さんの言うようにパスやトラップのミスが多いし、パスの精度もまだまだ。そういう課題を克服していかないと、世界では戦えないと身に染みて分かりました」

 そんな酒井に対し、中村俊輔は「高徳はすごい才能を持ってる選手。あの若さでW杯に行けるなんて滅多にあることじゃないし、その経験をムダにしちゃいけない。これからどんどん代表に絡んでいってほしいね」とエールを送る。自身も19歳で代表候補に呼ばれた経験を持つからこそ、こういう発言が出たのだろう。10年間エースナンバー10を背負い日本を引っ張った先輩から託された思いを胸に秘め、酒井は日本代表に参加しているのである。

 同じく南アフリカでサポートメンバーだった香川が、わずか半年で欧州で大ブレークしたことも、大きな刺激になっているようだ。
「真司君は年も近いし、負けていられないという気持ちになります。何か特別に話を聞いたりはしていませんけど、ボールを失わないし、球際が強くなっていますね。国内でプレーしている選手は海外組を見て、そういうところの違いを強く感じていると思います。自分もどんどん積極的にいかなきゃいけないし、海外に出てやってみたい気持ちも強くなりました。ただ、僕は外国語の方は全然ダメですけどね……」と酒井は苦笑いしつつも、意欲をみなぎらせる。

 とはいえ、酒井のザックジャパンでの現状は厳しい。右サイドには内田、左サイドには長友佑都(チェゼーナ)という欧州組がいて、アジアカップで出番が巡ってくるかどうかは、かなり微妙だからだ。
「自分が出る可能性は少ないだろうけど、ここに来ている以上、チャンスはあると思うし、いつでも行く気持ちはあります。出たら“集中力”を持ち続けることが大事。そこからしっかりやりたい」
 本人がこう強調するのも、昨年10月に中国で行われたAFC・U−19選手権での苦い記憶があるからにほかならない。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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