中野希望、金銀のメダルと五輪へのこれから=女子フェンシング

田中夕子

11月のアジア大会女子エペ、団体で金、個人で銀メダルを獲得した中野希望。17日から始まる全日本選手権で、夢への新たな一歩を踏み出す 【写真:Atsushi Tomura/アフロスポーツ】

 2つのメダルを、細かい細工が施された茶色の箱から取り出す。

 アジア大会フェンシング女子エペ個人で手にした銀メダルと、団体の金メダル。
「そんなに重さはないんです。むいたらチョコが出てきそうですよね」
 アジア大会で日本の女子エペがメダルを獲得したのはこれが初めてなのだが、成し遂げた快挙も、サラリと笑いに変える。
 中野希望(のぞみ=大垣共立銀行)、24歳。
 1年半後に控えたロンドン五輪を前に、フェンシング界に期待の新星が現れた。

高校でフェンシングへ転向

 攻撃権があり、攻撃場所も限られるフルーレ、サーブルと異なり、中野の種目であるエペは剣を持つ手首の先を除いたすべての個所への攻撃が有効。頭の先からつま先まで、どこを突いても得点になるため、見ている者にとってはフェンシング3種目の中で最も分かりやすい。しかしその反面、手が長ければそれだけ速く相手を突くことができるため、体格差で劣る日本人が世界で勝つのは難易とされてきた。
 だが、その常識を打ち破ろうとしているのが中野だ。
 北京五輪男子フルーレで銀メダルを獲得した太田雄貴(森永製菓)が、小学校3年からフェンシングを始め、以降毎日父とのレッスンに明け暮れていたのに対し、中野がフェンシングを始めたのは地元・福井県の武生商高に入学してから。アジア大会男子エペ個人で銅メダルを獲得した西田祥吾(ネクサス)が中野を「ポテンシャルが高く、センスのある選手」と評するように、潜在能力の高さは群を抜いていた。
 中学までは剣道部に属していたが、競技転向後まもなく頭角を現し、高校3年の時にはインターハイ優勝、世界ジュニア選手権にも3度出場した。剣道で培った対人感覚を生かし、相手の剣に触れないように自身の剣を動かす。そして、すきを見て相手の小手や足元を狙って前に出ていくスタイルを確立し、2009年7月のユニバーシアードでも銅メダルを獲得した。中野の活躍に刺激され、アテネ、北京五輪に出場後、引退を表明していた池田めぐみ(旧姓:原田、山形県体育協会)も「(中野がいれば)五輪の団体戦で勝負ができる」と復帰を決意したほどだ。

抜群の素質をさらに伸ばした出会い

 しかし、抜群の素質を持ちながらも今まで勝てずにいた理由があった。
「嫌なことは右から左へ聞き流せるし、何を言われても、へこむことがないんです」
 人見知りをせず、誰とでも屈託なく話せる明るい性格。高校生から代表入りを果たしているにもかかわらず、24歳になった今もフェンシング代表チームの中では永遠の「妹キャラ」。誰からも好かれることは決して悪いことではないのだが、人の良さが先立ち、勝負に対する貪欲さがいまひとつ欠けていた。

 そんな中野に、新たな刺激が加わる。
 北京五輪後、日本フェンシング協会は男子フルーレのオレグ・マチェイチュクコーチに加え、女子フルーレ、男女エペ、男女サーブルに海外から3人のプロコーチを招聘(しょうへい)した。エペのコーチに就任したゴルバチュク・オレクサンドルコーチは、中野に対して技術改良を求めた。まず指摘されたのが、剣の動かし方だった。
「今までは相手の剣の下から(自分の剣を)くぐらせて攻撃していたんです。でも『それだけでは世界で勝てないから、下ではなく(相手の剣の)上を抜け』と言われて。やったことがないし、今まで培ってきたスタイルと真逆の動きなので、最初は全然できない。『これで本当に勝てるのかな』と不安でした」
 細部の確認をしようにも、オレクサンドルコーチとそこまでの関係ができあがっていない。合わない、どうしようと不安を抱えながら戦った昨年末の全日本選手権は決勝で敗れ、国内でも結果を残せなかった。さらに不安は募ったが、そこは素直な性格がプラスに働く。悩むよりも体を動かそうと、下半身のフットワークに加えて上半身のトレーニングを積極的に行い、男子選手を相手に細かなアドバイスを求めながらの技術練習を繰り返した。

表れた結果 新たなステージへ

アジア大会で獲得した2つのメダルを手に、明るい笑顔を見せる中野 【田中夕子】

 感覚が磨かれ、ようやく自分の動きとして理解できるようになったのが7月のアジア選手権だった。
「自分より(ランキングが)下の選手に対してですが、試合の中でこれまで取り組んできたことが通用した。やっと、自信がつきました」
 そして、迎えた11月のアジア大会。中国、韓国などランキングも技術の正確性も上回る相手に対しても、おくすることなく攻め続けた結果、気付けば決勝まで進み、団体、個人で2つのメダルを手にした。
「まだまだ今のままじゃ足りないけれど、ずっと歯が立たなかった中国を焦らせることができたし、お互い本気で戦って勝つことができた。ちょっとは成長できたのかな」

 太田が五輪で銀メダルを獲得した時、当時大学生だった中野は高校の体育館で練習していた。テレビ中継があると聞き、慌ててテレビを出してきて、練習着のまま、北京の太田に声援を送った。
 あれから2年。
「太田先輩のように、日本でも世界でも負けない選手になりたいんです」
 成長を期待する要素は十分にある。幸いなことに、コーチとの関係も中野曰(いわ)く「最近はすこぶる順調」。夢の実現へ第一歩を刻むべく、17日からは全日本選手権が始まる。
 このまま進化と進歩を続け、ロンドンでメダルを手にしたら、彼女はその重みを、何と例えるだろうか。それもまた楽しみだ。

<了>
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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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