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米本拓司、不屈の19歳が立ち向かう試練

最初のプレーは“バックパス”

今年1月に日本代表に選出された米本。さらなる飛躍が期待された2年目だったが、けがに泣かされ、チームも低迷した
今年1月に日本代表に選出された米本。さらなる飛躍が期待された2年目だったが、けがに泣かされ、チームも低迷した【写真:アフロ】

 2010年11月27日、味の素スタジアム。


 自軍のキックオフ、彼はセンターサークル付近で受けたボールをどう展開しようか、しばし選択肢を探ったが、結局はそのボールを後ろにいたセンターバックに下げた。最初のプレーはバックパスだった。所属するFC東京は残留を争い、決して負けられない試合。忍び寄る降格の危機が、彼をおくさせたのか。取るに足らないワンプレーだったが、どこか啓示的だった。


 垂ぜんのタレントも、19歳の若者にすぎなかったのである……。


 米本拓司は10代の日本人選手の中で最も評価の高いMFだ。


 プロ1年目の09年、ヤマザキナビスコカップ決勝の川崎フロンターレ戦でミドルシュートを決めるなど、優勝の原動力となった。「ニューヒーロー賞」の称号はだてではない。今年1月にはアジアカップ予選で日本代表にも選出され、イエメン戦で勝利に貢献した。守備センスに優れ、球出しにも長ける。相手のパスコースを巧みに消し、じわじわとにじり寄っていく守備は狡猾(こうかつ)で、テンポ良く広角に振り分けるロングパスの軌道は美しく、瞬く間にチャンスを作り出す。


 しかし、期待された2年目の今シーズンは、開幕前の練習で左ひざ前十字じん帯損傷および左ひざ外側半月板損傷で、長期離脱を余儀なくされた。“不在の在”と言うべきか。展開を作っていた米本を失ったFC東京は攻守両面で大幅な修正を余儀なくされる。降格圏にどっぷりとつかり、23節の磐田戦で敗れた後に、米本を抜てきした城福浩監督は解任。優勝を目標に掲げたチームが23試合でわずか4勝、ホームでの勝ち星は開幕戦だけだった。


 28節の清水エスパルス戦、米本が久々の復帰を果たすと同時に、チームの調子は上向いた。33節までは3勝2分け1敗。故障明けにもかかわらず、若きMFの存在感は際立っている。


「守備力が高い上、攻撃の一歩目になれる。彼が復帰したことでチームは変わった」と関係者は口をそろえ、ガス欠状態だったチームは再び走り出した。

大一番で露呈した若さ

 現代フットボールは攻撃の芽を摘むプレッシングが極まりつつあるが、米本はその圧力をさらりとかわす。ディフェンスラインの前でボールを受けるタイミング、角度、コース取りなど生来のセンスを感じさせ、駒のようにくるくる回るターンは玄人をもうならせる。元スペイン代表のマルコス・セナと似たタイプで、失点の芽をつぶし、得点の芽となれるMFだ。


 その老成した戦術センスは19歳とはとても思えない。


 しかし、勝てばJ1残留がほぼ確定するはずだった試合。彼は“若さ”を見せたのだった。


 残留を懸けた一戦、米本は凡ミスを連発した。


 成功したように見えるパスでさえもわずかにコースがずれ、浮いてしまっていた。落ち着かず、なにか狼狽(ろうばい)した印象で、何でもないトラップをあやまり、空振りするような場面もあった。また、地に足が着いていないのか、中盤での競り合いに負けることもしばしば。本来の出来にはほど遠かった。


「(連戦で)足に来ているけど、疲労を言い訳をしていたらプロじゃない。自分はシーズン途中で復帰した選手で、みんなはフルシーズンを戦っているわけですし。(今日に関しては)これが自分の実力と言うことです」


 試合後、米本は苦々しげに語った。


 東京は先制しながら、終盤に追いつかれる展開で、勝てた試合を引き分けた。選手たちは疲労困憊(こんぱい)、おまけに満身創痍(そうい)だ。ケガを抱え、だましだまし出場している選手たちもいた。前半、相手のモンテディオ山形を苦しめた石川直宏は足に違和感を覚え、ベンチに退いている。

小宮良之

1972年、横浜市生まれ。2001年からバルセロナに渡り、スポーツライターとして活躍。トリノ五輪、ドイツW杯などを取材後、06年から日本に拠点を移し、人物ノンフィクション中心の執筆活動を展開する。主な著書に『RUN』(ダイヤモンド社)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『名将への挑戦状』(東邦出版)、『ロスタイムに奇跡を』(角川書店)などがある。

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