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好景気に沸くロシアサッカーの興隆と現実
本田、松井らがプレーするロシアのサッカーとは

経済成長とともに巨額の資金が流れ込んだロシア・プレミアリーグ

本田が所属するCSKAにはブラジル代表経験もあるワグネル・ラブら一流選手がそろう
本田が所属するCSKAにはブラジル代表経験もあるワグネル・ラブら一流選手がそろう【Getty Images】

 本田圭佑(CSKAモスクワ)、松井大輔(トム・トムスク)、巻誠一郎(アムカル・ペルミ)ら日本代表クラスの選手が続々と移籍し、がぜん、注目を浴びるロシア。2010−11シーズンのUEFAリーグランキングでもポルトガルやオランダを上回る6位につけ、UEFAチャンピオンズリーグ本戦にスパルタク・モスクワ、ルビン・カザンの2チームが進出するなど、目覚ましい躍進を遂げている。かつて、イングランドやイタリアなど西欧諸国に大きな差をつけられていたロシアサッカーが、ここへ来て欧州の舞台で存在感を増している。なぜ、これほどの急成長を遂げたのか。その理由に迫るため、現地で同国の歴史や現状、今後を探ってみた。


 まず目を向ける必要があるのが、ロシアプレミアリーグ(RFPL)だろう。01年にスタートした同リーグは、今季で10周年を迎えた。発足当時はプーチン前大統領の就任直後で、エネルギー関連産業を軸とする経済成長が始まる矢先だった。その後、10年間でロシアの国力は急進し、リーグ収入も一気に伸びた。RFPLのセルゲイ・プリャドキン会長は「01年当時のリーグ年間収入はわずか150万ドル(約1億2500万円)だったのに、10年には5900万ドル(約49億円)に拡大した。われわれは今、欧州トップ3の仲間入りを果たしている」と自信を見せる。


「わが国の経済成長はサッカーの躍進に大きく寄与した。巨額の投資がサッカーに流れ込み、リーグ収入も大幅に増えた。ソ連崩壊直後の90年代はクラブも緩慢なムードに陥りがちだったが、大企業がスポンサーについたことで緊張感が高まった。07−08シーズンにゼニト・サンクトペテルブルクがUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)で優勝するなど、欧州の舞台で台頭するようになったのも、意思改革の影響が大きいと思う」と同会長は言う。


 リーグ収入のうち、特に伸びているのがテレビ放映権料だという。全体の6割を占めるこの売り上げは、近年の外国人選手大量流入と無関係ではない。

 RFPLの外国人枠はピッチに立っている11人中6人以下。この枠を守っていれば、クラブは外国人選手を何人でも保有していいことになる。ゼニトを天然ガス独占企業「ガスプロム」、スパルタクを国営石油会社「ルクオイル」がそれぞれ支えているように、ロシアの主要クラブは巨大企業の支援によって、欧州トップの資金力を備えるようになった。彼らはこの潤沢なマネーを駆使して、次々と有名外国人を買い集めたのだ。

 現に、本田のいるCSKAも今季は10人以上の外国人を保有している。こうしたグローバル化に伴って、外国の放送局が放映権を買ってくれるようになった。確かに日本でも、『スカパー!』がRFPLの放送を始めている。そんな流れが収入アップにつながっているのだ。


 外国人選手の参戦はリーグレベル向上という面でもプラスに働いている。

「本田のような優秀な選手が来てくれたことで、チームに新たな競争が生まれ、刺激をもたらしている。世界的スターが増えることでリーグの人気も向上している。ただ、今まではクラブが手当たり次第に外国人選手を買う傾向もあった。これからはもっと、質を吟味していく必要があると思う」(同会長)

代表チームにおける勢力図にも変化が見える

ロシアサッカーの事情を説明するアレクサンダル・コベルヤツキ氏
ロシアサッカーの事情を説明するアレクサンダル・コベルヤツキ氏【元川悦子】

 RFPLの発展とともに、国内勢力図も変化した。ロシアの総合週刊誌『ロシアン・リポート』のスポーツ担当編集委員を務めるアレクサンダル・コベルヤツキ氏は、ソ連崩壊後の流れを次のように説明する。

「92〜95年はロマンツェフ監督率いるスパルタクの全盛期で、対抗馬は皆無だった。95年には北オセチア共和国のアラニア・ウラジカフカスが優勝。この時はガザエフ監督がいいチームを作ったものの、八百長のうわさもあって勢いは続かなかった、その後、01年までスパルタクが王者に君臨したが、当時はCSKA、ロコモティフとの3強時代で実力は拮抗(きっこう)していた。90年代後半は社会不安が増大し、暗い世相の時代。上から押さえつけるやり方だったロマンツェフ監督の統率力も徐々に緩んでいった。02年以降は経済成長によって地方クラブが台頭。タタルスタン共和国が国家ぐるみで強化しているルビン・カザンなどは、その好例だと思う」


 勢力図の変化は、ロシア代表にも大きく影響している。02年ワールドカップ(W杯)・日韓大会で日本に敗れたチームがロマンツェフ監督率いるスパルタク中心の構成だったように、過去のロシア代表は特定クラブに依存する傾向が強かった。政治的関与なども後を断たず、内紛や衝突も繰り返された。ポルトガルで開催されたユーロ(欧州選手権)04でもスパルタクやディナモ・モスクワで指揮を執った経験のあるヤルツェフ監督を当時のエース・モストボイが批判し、チームを追放されるという大事件が起きている。


 そんな共産主義時代の面影を残した代表の歴史に終止符を打つ契機になったのが、外国人指導者の抜てきだ。チェルシーのオーナー・アブラモビッチ氏の人脈と資金力によって06年に招へいされたヒディンク監督は、ゼニト、モスクワのビッグ4を軸にしつつ、アムカル・ペルミやクリリア・ソビエトフ・サマラなど地方クラブからも選手を集めて、ニュートラルなチームを作った。そしてスイスとオーストリアでのユーロ08で4強入りの快挙を達成。「ロシア強し」を世界中に印象づけたのだ。そのヒディンクがW杯・南アフリカ大会の予選を突破できず辞任した後、現在のアドフォカート体制に移行している。


「ヒディンクは『卓越したモチベーター』だった。人間的にも寛容で選手たちはやりやすかったと思う。アドフォカートは彼と対照的で、非常に厳格で規律を強く求める人物。連係を重視するためDF、MF、FWを同じクラブから選ぶという哲学を持っている。まだ完全に彼のやり方は浸透していないが、前任者と全く違うキャラクターを持つ現監督がロシア代表にいい刺激をもたらすのではないかと思う」(コベルヤツキ氏)

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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