巻誠一郎、30歳からの伸びしろを感じて=ロシアでの挑戦を大いに語る 後編

元川悦子

メディアを遠ざけていた理由

巻は新たなスタイルに取り組みつつ、自分の伸びしろを感じたという 【元川悦子】

――今季序盤、千葉で控えに甘んじていた自分を、あらためてどうとらえていますか

 急にフィジカルが落ちたというわけではなかった。控えに回ったのはチームの方針が一番大きかったのかな。フィジカルの厳しいロシアに来て、自分自身を見つめ直した時に「フィジカル的にはまだまだ伸びる」とすごく感じています。ジェフで出られなかったのは監督が決めることだし。僕は不満もなかったですし、自分は自分のできるプレーをして、幅を広げたいと考えていました。

 実際、こっちに来てシャドー的な役割をやるようになって、今まで見えなかった伸びしろが見えてきた感じがある。すごくポジティブですね。体もすごく動けるようになったし。ジェフでは精神的に動けなくなっていたところもあったけど、今は前向きですよ。とはいえ、この先はそんなに先は長くない。終わりはまだ見えていないけど、確実に近づいてきているわけだから、もっともっと試合にたくさん出たい。もっとうまくなりたいって気持ちも強いです。

――新たな闘志に火がついたんですね

 サブでいいやとか、ロシアに来たから満足とかは一切ない。新しい世界に来て、自分のスタイルや役割を受け入れるいいチャンスになったと思っています。

――代表時代はメディアを遠ざけていたこともあったけど、今はイキイキしていますね

 当時はサッカーが義務的になっていた。代表時代やジェフで残留争いをしていたころは楽しむことより義務感が強かったんです。でも今は単純に試合に出たい、うまくなりたいって思える。それは大きいですよね。

――当時はなぜしゃべらなかったんですか

 代表に行くと責任感がすごく増す。周りから常に見られて、自分の発言に対しても責任を持たなきゃならなくなる。1つのことが10になって伝わったりするのがしんどかったんです。良ければ持ち上げられ、悪ければたたかれるギャップも大きい。そういうこととも戦わなければいけなかった。それを乗り越えられる選手が一流なんだろうけど、正直、僕には重かったですね(苦笑)。

――その後、話せるようになったのは

 メディアは苦手かもしれないけど、後ろには聞きたいっていうファンの人がいっぱいいる」と何回も何回も妻が言ってくれたんです。それで気持ちが変わりました。僕はジェフに対しては特別な思いがあるから、応援してくれる人にチームの状態を説明して、安心してもらいたいと考えてしゃべるようになりました。それまでは苦しかった。しゃべってもしんどかったですけどね。そのころから自分を見つめ直しました。まあ、若かったですし(笑)。

代表の緊張感の中でまたプレーしたい

――日本代表に対してはどうですか? 南アもチャンスはあったと思いますが

 自分が一緒に戦ったことのある選手がほとんどだったんで、純粋に応援していました。1人のサポーターとして、日本の試合は特別な感情で見ていましたね。今回はチームがまとまって成功したし、うらやましかった。結束の大切さをみんな感じただろうし。難しい中でも1つになれるのは日本人のいいところ。日本人の監督だったからこそ、あそこまでまとまったんでしょうね。

――オシムさんのやりたかったことを最後まで見られなくて残念な面はありますけどね

 確かにそれはありますし、南アの日本代表は守備的になった。でも1つ結果を残すというのが日本のサッカーには重要だったんじゃないかな。ザックさんが監督になってからのチームを僕はまだ見ていないんですけど、ああいう緊張感の中でまたプレーしたいですね。

――ロシアでの経験を日本代表に還元できたら面白いですね

 チームで出ないことにはチャンスも巡ってこないと思うんで、まずはロシアで成功できるようにしたい。ロシアはフィジカルの強さだったら、ヨーロッパの中でも上位に入るし、ここに順応して、プレーの幅を広げられたら、また代表のことも考えられると思います。今季は残り少なくなりましたけど、シーズン中に1点くらいは取りたいですね。この歳でこんな素晴らしい経験ができるってことはあまりないから、最大限生かしたいです。

 インタビューから1週間後の11月6日。アムカル・ペルミはテレク・クロズヌイとホームで対戦し、2−0で勝利した。彼らは順位を1つ上げて14位となり、プレミアリーグ残留へ大きな一歩を踏み出した。巻の出番は2試合続けてなかったが、今は残留に向けて何らかの貢献をすることに集中しているはずだ。残りは3試合。彼が目標としている今季初ゴールを挙げることができるのか。そこに注目して、動向を見守りたい。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント