巻誠一郎、未知なる異国で生きる道=ロシアでの挑戦を大いに語る 前編

元川悦子

もう一度チャンスを待たなければいけない

巻は移籍当初にゴールを決められなかったことで、徐々に出場機会を失っている 【Photo:photoXpress/アフロ】

――最初のアンジ・マハチカラ戦の後は、先発と控えを行き来しています

 海外では結果が一番大事。自分は結果を出せていないんで、今はチャンスを再び待たないといけない状況です。そういう中でも自分のプレーをやり続けていかないとね。

――アムカル・ペルミの戦い方は

 布陣はオーソドックスな4−4−2。下位争いをしているせいもあって、まずはガチっと守る。そして前線に1人大きい選手を置いて、その選手に合わせてカウンターを仕掛けるのが基本です。外国人選手はブルガリア人が3人いて、モンテネグロ、ハンガリー、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ウクライナ、カザフスタンが1人ずつで代表選手もいます。アジアは自分だけですね。中心選手はセンターバックの21番(ベロルコフ)と24番(ポポフ)、ボランチの13番(ノバコビッチ)と19番(コロメツェフ)、右MFの7番(ペエフ)、ターゲット的な長身FWの99番(リーステチュ)と司令塔タイプのFWの8番(ボルコフ)ですね。

――巻選手の役割は

 主にシャドー的なFWですね。守備の時は頑張って戻って、攻撃の時は前に出る感じで、“汗かき”ですね。8番(ボルコフ)とポジション争いをする形になっていますが、彼はパス出しに長けたゲームメーカー。タイプが全く違います。このチームにはパサーが少ないんで重宝されていますね。自分はたまにターゲット役の1トップもやります。監督から見れば“使い勝手のいい選手”でしょうし、それが生きる道かなと思いますけど。

――早く初ゴールが欲しいところですね

 その部分で僕は最初、失敗しました。今、あまり試合に出られないのもそれが原因。合流してからの準備時間が短すぎたこともあるけど、サッカー選手は目の前の環境を受け入れないといけない。そこで結果を出せなかったんで、もう一度チャンスを待たなければいけないってことですね。

少しずつヒントを見つけ始めた実感はある

――ロシアでのプレーの難しさはどんなところですか

 やっぱりフィジカル。欧州の中でもかなり高いレベルだと思います。僕自身もCKの時に前に残ることがあるし、攻撃でも小さい選手がやるような役割を任せられることがあります。日本にいた時は前線のターゲット役でしたけど、ロシアはみんな体がデカいし、日本でやっていたことをそのまま出そうとしても通じない。ロシアのDFはあまり人につくのはうまくないけど、ちょっと動きが遅れても体格でカバーしてくる。そういう部分にもギャップを感じました。自分がどんなスタイルで対応すればいいのかを見つけるのに時間がかかりましたね。

――体格を重視したサッカーなんですね

 ウチのチームが下位にいるから、人数をかけてフィジカルで守る傾向がより強い。体格がいいんで、人数をかければ守り切れるところがありますね。日本だと最後まで守り切れないものなんですが……。ただ、逆にやられるとガックリきて集中力が続かない。失点が重なると「ああ、ムリだ」って全体が落ちるし、練習でも途中でダメだとあきらめる選手が結構いる。そういう部分も含めてロシアですね。

――異国のサッカーで、自分自身をどう生かそうと考えていますか

 ロシアのDFは人につくのがうまくないんで、タイミングをうまく外せれば、裏にも簡単に抜けられるんです。クロスに対してもポジションを守る意識が強いんで、自分がうまくその間に入っていけばチャンスはあるなと。そんなことを考えながら模索しています。日本でやっていたことだけではダメだったし、それを生かしつつ、新しいことにもトライしていけば、徐々に答えが見つかってくるんじゃないかなと思っていますけどね。

――巻選手の「泥臭いプレー」はロシアでも十分通用しそうですが

 僕自身、自分のプレースタイルに信念があるし、それはどこに行っても変わらないですね。ほかの選手があまり走らなければ、自分がいっぱい走ってカバーすればいい。DFが上がったまま戻らなかったら、自分が下がってバランスを修正すればいい。そういう部分がどこまで認めてもらえるか分からないけど、それをやりつつ、自分の生きる道をしっかり作っていかないといけないですね。
 僕はロシアに環境を学びに来たわけじゃない。試合に出て活躍して、まだまだステップアップできると思ってここに来たんで。今のところは不本意ですけど、少しずつヒントを見つけ始めた実感はあるんで、それをうまく出しながらやっていきたいと思います。

<後編に続く>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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