アルゼンチン代表再生への道は原点回帰か=真価の問われるバティスタ監督
暫定監督からの昇格
バティスタは晴れて正式にアルゼンチン代表監督に就任した 【写真:ロイター/アフロ】
暫定監督の昇格にあたり、一部の協会幹部や同僚からは、必要な手続きを踏んでいないと反対意見が出たことは事実だ。バティスタは選手たち――特に世界最高の選手と言われるリオネル・メッシや、AFA(アルゼンチンサッカー協会)会長のフリオ・グロンドーナと良好な関係を築いており、これが決定に影響を及ぼしたと見られる。また、08年の北京五輪では代表チームを指揮し、金メダルを獲得した実績もある。チームの雰囲気作りがうまい監督と言えるだろう。だが、1994年から01年までユース代表監督を務め、ワールドユース(現U−20W杯)を3度制するなど数々の成功を収めたホセ・ペケルマンほどの結果は残していない。
AFA理事会によって任命された委員会のメンバーは11月1日、候補者の中からバティスタの正式就任を決めた。この決断がグロンドーナの意向に沿ったものであることは明らかだろう。協会会長はアルゼンチンサッカー界で一番の権力者であり、11年に8回目の任期を終えるまで、実に32年間も頂点に君臨しているのだ。W杯・南アフリカ大会後から暫定監督として指揮を執ってきたバティスタは、親善試合で2勝1敗の成績を収めている(ダブリンでのアイルランド戦に1−0、ブエノスアイレスでのスペイン戦に4−1で勝利。埼玉での日本戦には0−1で敗れた)。世界王者のスペインに快勝したこともあり、続投するに足りる結果だと言える。
監督決定の影で……
バティスタはサッカー一家の出である。すでにこの世を去った父親のホセは、若きタレントの発掘を行っていた。クラブ・パルケ・デ・ブエノスアイレスの創設者の1人で、カルロス・テベス、フェルナンド・ガゴ、エステバン・カンビアッソ、ファン・ロマン・リケルメ、フアン・パブロ・ソリンといった選手を輩出している。かつてのフェルナンド・レドンドもこのクラブの出身だ。また兄弟のフェルナンドもプロのサッカー選手だった。
現役を退いた後、バティスタはアルゼンチン2部や1部のクラブ監督を歴任。07年からはアルゼンチン代表でユース代表や五輪代表監督を務め、86年W杯を共に戦ったチームメートと一緒に働いてきた。メキシコ大会のドイツ戦でゴールを決めたDFのホセ・ルイス・ブラウンは現在もアシスタント・コーチを務めている。またここに来て、ガブリエル・バティストゥータの代表スタッフ入りという話も浮上してきた。
グロンドーナが暫定監督の続投を決断するにあたって拠りどころとしたのは、バティスタが選手たちとの間で奏でるハーモニーかもしれない。チーム作りにおいて、周囲の人たちといざこざを起こすことはほとんどないからだ。だが、バティスタが今後、ゼネラル・マネジャー(GM)のカルロス・ビラルドとどのように付き合っていくのかは不透明である。個人的に両者は良好な関係を築いているが、ビラルドはほかの候補者を考えていた節があるからだ。
もともと代表監督決定のプロセスにおいては、ビラルドが候補を3、4人に絞り、その中から委員会のメンバーが1人に決めることになっていた。候補者の名前は最後まで表に出ることはなく、バティスタに決まった。だが実は、ビラルドがエストゥディアンテスを率いるアレハンドロ・サベージャと、ラシン・クラブ監督のミゲル・ルッソを気に入っていたことは周知の事実である。