前田遼一、変ぼうを遂げつつある磐田の大黒柱
“ジュビロ黄金時代”の末裔として
前田(右)は韓国戦で先発出場を果たした。ザッケローニ監督のもとで代表定着を目指す 【Getty Images】
以前の前田は前線でボールが収まらず、その焦りから悪循環に陥りピッチから消えるなど、好不調の波の激しさを指摘されることも少なくなかった。だが、経験を重ねたことで、ポジションニングで相手を制し、味方の攻撃全体をサポートできるようになった。昨今はコンスタントに実力を発揮し、中山雅史、藤田俊哉、田中誠、名波浩らが作った“ジュビロ黄金時代”の末裔(まつえい)として、卓越したセンスにチームの重荷を背負う精神力が追いついてきた。
「遼一にすべて託した。あいつは常勝ジュビロの何たるかを分かっている。その数少ない選手だから」
かつて共に戦った先輩たちはこう証言する。ナビスコカップ決勝の前哨戦と銘打たれた10月16日の第26節サンフレッチェ広島戦、磐田は前半にリードを許す苦しい展開ながら、後半13分に前田のヘッドで同点とした。苦しい時に値千金のゴールを奪う。それは大黒柱の証明だった。
挫折を繰り返して迎えた進化の時
「プロでは最初、自分は無理だな、って思いました」
「自分はいいときと悪いときの差がある。その波が激しすぎる」
「リーダーシップですか? それだけの動きができている感じがしないから」
おそらく、彼は自分に厳しく、理想が高いのだ。挫折のたび、マットに沈みながらふらふらと立ち上がる。ダウンを繰り返して、彼は逞しさを増す。
頭角を現したのはユース時代だった。2000年にはアジア年間最優秀ユース賞を受賞、01年のワールドユース(現U−20W杯)・アルゼンチン大会、04年のアテネ五輪(出場は予選のみ)と階段を上ってきた。しかしその後、ジーコの監督時代は日本代表での出場機会はなく、オシム時代に日の丸デビューを果たすも、岡田時代も含めて代表には定着できなかった。所属する磐田でも中山雅史、高原直泰、2人の系譜を継ぐFWとしては物足りなさを感じさせた。
しかし進化のため、彼には時間が必要だったに違いない。
ジュビロの背番号18は10月12日の韓国戦で先発出場し、日本代表として相手選手と堂々と渡り合った。今や息を呑む変ぼうを遂げつつある。何しろ、“とらえどころがなく、いきなり目を瞠る仕事をする”血が、彼の体には流れているのだ。
<了>