矢野貴章が飛び込んだ欧州の舞台=フライブルクでのチャレンジ
矢野はフライブルクで新たな刺激を受けながら奮闘。2週間でチームになじむなどスタートは順調だ 【写真:アフロ】
この夏、移籍市場が閉まる直前にドイツ・ブンデスリーガ1部のフライブルクからオファーを受けた矢野貴章には、じっくりと情報を集めて決断する時間はなかった。フライブルクについて知っていたことは「環境の町と森があるのと、フォルカー・フィンケ(浦和レッズ監督)が教えていたということだけ」だった彼だが、すぐに移籍を決断した。公式サイトのインタビューでその理由を「欧州トップリーグでプレーすることをずっと望んでいたし、今回オファーをもらった時には、『チャンスだ。年齢的にも今しかない』と思った」と答えていた。オファーの話を聞かされた翌日には機上の人となり、そのまた翌日の8月28日に契約書にサイン。それから4週間、夢に描いていた欧州トップリーグの1つであるブンデスリーガでデビューを果たし、日々チャレンジを繰り返している。
日本とは違う地方クラブでの環境
監督ロビン・ドゥットの意向で、矢野は最初から通訳なしでチーム練習に参加。クラブでは練習後1時間は各々クールダウンに時間を費やさなければならず、「定められた時間が来るまでは帰ることができない」「食事は監督が来るまで始めてはいけない」といった厳格なルールがある。その一方で、練習後に着替えてクールダウンしたいからもう一枚練習着を準備してほしいという要望は「控え室に戻ったら何を着てもいいから自分で準備して」とばっさり返されたりと、矢野は日本ではあまり考えられない経験をしている。
「でも、それがこっちでは当たり前なんだと思ってやっている。戸惑うというか、こういうことするんだなと。それはそれで面白い一面でもある。ここに来ないと分からないこと。それに、今まで自分がサッカーをやってきた環境がどれだけ恵まれていたのかというのを気付かせてもらえた。試合前の準備も日本ではやりすぎなくらいやってくれるけど、こっちにはそういうのはないし、それがこっちでは当たり前。サッカーだけでなくて生活面でも、日本だったら何でもあるし、買える」
新天地でホテル暮らし、しかも観光シーズンの影響で2度もホテルを移らなければならなかった。休息の時間となる練習の合間には諸手続きや地元紙のインタビューにドイツ語のレッスン。食事は外食中心。しかし矢野にはすべてが新鮮で、好奇心を満たしてくれるものだった。
「本当にすべてが初めてのことだったから、刺激的だったし、期間で言えばすごい早いなっていう感じはする。今まで知らなかったことを見たり知れたりというので今は楽しい。サッカーをやっている時はすごく楽しくやれているし、また頑張らなきゃいけないという気持ちになった。それは自分にとってプラスだし、それだけでも来た価値はあるんだと思う」
合流わずか2週間でチームになじんだ矢野
68分に同点に追いつき、さらに攻勢に出るチームの勢い乗るように、矢野はスペースにタイミングよく飛び出してはチームメートからのパスを引き出していく。2トップを組むシセとはこの試合が初めての競演だが、78分には右サイドからこれ以上なくドンぴしゃりのセンタリングを合わせるなど、息の合ったプレーを見せた。シュツットガルトのドイツ代表DFセルダイ・タスキィにヘディングで競り勝つなど好プレーを何度も披露し会場を沸かした矢野に対し、ドゥット監督も「矢野の加入でわれわれは高さというバリエーションも手にした」と評価した。
試合後、矢野は「スタジアムはほぼ満員でしたし、雰囲気も良くて、だからこそ勝って良かったと思う。相手が後半になってだいぶ運動量も落ちてきたし、疲れてきていた。いいボールも何回か来ていたんで、そういうのをゴール前でまたたくさんもらえるようにしていけたらいいと思う。でも個人的にはシュートが打てなかったんで、悔しい部分がありますね」とデビュー戦を振り返った。
ゴールこそ奪えなかったが、合流わずか2週間とは思えないほど矢野はすでにチームになじんでいた。フライブルクはタイトル争いとは無縁の小さな町クラブだ。だからなのか、チームメートの仲がいい。矢野にも練習中からちょっとしたドイツ語の単語、片言の英語にジェスチャーを交えて積極的にコミュニケートしていく。「キショウ、キショウ!」と何度も名前を呼ばれるなど、チームの一員となっている。
チームに合流してしばらくしたころ、練習中にちょっとした事故があった。その日はマウンテンバイクで山道を2時間走るというトレーニングが行われたのだが、その下り道でちょっとした穴に矢野の自転車の前輪がはまった。慌ててブレーキをかけようとしたが、間違えて前輪のブレーキをかけたためにそのまま横転し、チームメートの1人を巻き添えにしてしまった。幸い2人とも軽症だったのだが、控え室に戻るとチームメートは次々に矢野のもとに来ては「ようこそドイツへ!」「サッカーだけやっていればいいと思っただろ」と笑いながら話し掛けてくれたという。