野球小僧だった砺波工の大黒柱・中山=タジケンの甲子園リポート2010

田尻賢誉

ほかの選手とは違う“気付き力”

 なぜ、1人だけ違うのか。
 初めて砺波工高の練習を見たときのこと。ほかの選手たちが紺色のTシャツを着ている中、白いTシャツを着ている選手がいた。なぜ、チームで統一しないのか。1人だけあえて違う色を着る理由があるのか。疑問に思った。
 だが、その疑問はアップ終了とともに感心に変わる。スパイクに履き替え、ベンチから出てきたときには、白いTシャツの選手はいなくなっていたからだ。アップで多めに汗をかくことを頭に入れ、着替え用のTシャツを着ていたのだ。
 その選手は、トスバッティングでも1人だけほかの選手と違う方向に打っていた。ほかの選手たちがグランドに向かって打つ中、フェンスに向かって打つ。方向が違うだけに危険で、なぜそうするのか疑問だったが、理由を聞いて納得した。
「(打球が変な方向に飛んだり、投手役が後逸したときなどにフェンスで止まるため)ボールを捕りに行く距離が短くてすむからです」
 全員にそのことを伝えていれば百点満点だったが、明らかにほかの選手とは“気付き力”が違う。プレーを見る前から、いい選手なのだろうと想像できた。
 そして、その選手がほかの選手と決定的に違い、いい選手だと確信したのは、練習と練習の合間の休憩時間。水分を取り、汗をふいて、日蔭でゆっくりする選手たちの中で、1人だけ暑い日なたに出て、素振りやキャッチボールを始める。「1分1秒でも長く休みたい」という表情の選手たちとは逆に、「1分1秒でも早く野球をやりたい。野球が好きで好きでたまらない」というのが伝わってきた。
 いい意味で、1人だけ違う。
 その選手が、投手兼ショートで3番を打つ大黒柱・中山翔也だった。

中山の存在なしにはありえなかった甲子園

 はしゃいだりするタイプではなく、普段はあまり目立たない。だが、野球になると途端に存在感を増す。富山大会も中山の活躍は光った。富山商高との準決勝。6回、南部護のタイムリーで2対1と勝ち越した直後の2死二、三塁。中山はベンチに向かって「打ってくるから見とけよ」と宣言すると、言葉通りレフト線に2点タイムリー二塁打。「調子が悪かったんですけど、マイナス思考はダメ。自分がチームを引っ張るつもりで、あえてああいうふうに言いました」。投手からショートに回っていた9回には、3点差に迫られ、なおも1死満塁のピンチに、高いバウンドで投手の頭を越えたセンター前に抜けそうな打球を好捕。応援団の悲鳴を歓声に変え、勝利をもたらした。「自分のところに飛んで来いと思っていた。打球が来たら前で処理しようと決めていました」。失策を恐れず、前でさばく気持ちの生んだファインプレーだった。
 ショート用のグラブでマウンドに上がる春からの急造投手にもかかわらず、2回戦以降の全試合に先発して28回を8失点と試合をつくり、打ってはチームトップタイの7打点。中山の存在なしには、砺波工高の甲子園はありえなかった。

全国レベルでも対応した急造投手

 初めての甲子園でも、中山は躍動した。先発して6回を3失点。9安打されながらも粘り、1イニングの失点は最少の1点にとどめた。富山大会では右打者には外角一辺倒だったが、4回1死二塁では森田浩輝を内角ストレートで詰まらせた。左打者には外角ストレートでカウントを取り、内角スライダーで打ち取るパターンしかなかったが、この日は積極的に内角を使い、初回2死二塁では内角ストレートで四番の越井勇樹をピッチャーゴロ、6回2死満塁では同じく内角ストレートで谷康士朗をピッチャーフライに仕留めるなど、新たな配球で全国レベルに対応した。ピッチャーフライを捕球する際には、それまでに見せたこともないほど両手を使った大きなジェスチャーと声で「オレが捕る」とアピール。大観衆、大声援にも対応してみせた。マウンドでは打者ごとに野手に守備位置を指示。甲子園対策、報徳学園対策でいつもとは違う守備位置に守る野手を安心させた。
 打撃でも逆方向に打ち返す持ち味を発揮。3回にはスライダーをレフト前へ、5回にはストレートを左中間へ運ぶ二塁打でチームを引っ張った。惜しまれるのが、1点を追う9回2死一、三塁で回ってきた最後の打席。報徳バッテリーは歩かせても仕方がないという外角中心の慎重な配球で四球。2死満塁とチャンスは広がったが、中山で勝負できなかった時点で砺波工高の勝利の可能性は低くなってしまった。

 試合後、中山は「もうこのチームで野球ができない」と号泣した。だが、まだ中山の野球人生は始まったばかり。レベルが高い環境に入れば、必ずそのレベルに対応し、成長できる。「ピッチャーをやって、周りから支えられているのが分かった」という中山。投打にチームを引っ張り、大舞台を経験したことは必ずや今後の糧になる。
 技術的にはもちろん、それ以外の面で「いい選手」になる要素を気付かせてくれた中山。いまどき少ない、野球をやることが好きでたまらない野球小僧。卒業後も上のレベルで活躍し、富山のレベルを上げてくれる存在になることを期待したい。
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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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