香川真司、ドイツ経由で目指すブラジルW杯=サポートメンバーとして臨んだ南アフリカ大会を経て
ドイツ移籍の過程に
練習試合での香川(左)。ドルトムントのクロップ監督も期待を寄せる 【Photo:アフロ】
5月11日に行われた移籍発表会見の席上で「昔からの夢がかなってうれしい」と満面の笑みを見せた香川だったが、その前日はワールドカップ(W杯)に臨む日本代表メンバーの発表日だった。手応えを口にしていたにもかかわらず落選し「自分には足りないものがあるということ」と人目をはばからず大粒の涙を流したばかりだった。
香川はW杯メンバーに選ばれることを考え、欧州移籍を含むすべてのものを封印してきた。もちろん、高校3年から在籍したセレッソ大阪には強い愛着を感じていた。在籍1年目でJ2に降格させてしまったことへの責任も、J1に上げなくてはいけないという使命も感じていた。一方、日本代表に関しては、J2のサンフレッチェ広島(現在はJ1)に所属する佐藤寿人らが招集されていたこともあり、J2でのプレーが招集への足かせとならないことは明らかだったため、国内移籍は選択肢に入りつつも、さほど魅力的には映らなかった。
J2で3シーズン目となる2009年シーズン、香川はC大阪を見事J1昇格へと導くと、自身も27得点で得点王となり、チームの中心選手として十分すぎる活躍を見せた。そして、J1昇格という大きな目標がかなうと同時に、香川の思いは次なる世界へと募り始めた。実際、昨季終了後にはブンデスリーガの視察に赴いたが、日本代表への気持ちも捨て切れず、近づいてくるW杯のメンバーに招集されることが最優先課題となった。「両親は1月に移籍してしまえばと言ったけど、自分の考えで6月にしました」と、結局はC大阪残留を決断することになった。
W杯メンバーに落選もチームに帯同
ただ、香川は若手とはいえJリーグでトップクラスの経験を誇り、直前までメンバー争いの当落線上にいた選手。同様に当落線上と見られていた槙野智章(広島)がサポートメンバー入りを打診されたにもかかわらず断りを入れたこともあり、香川の動向も注目されたが、自身はW杯に帯同することを選択した。
「6月はJがオフになり、その間を日本で過ごすのも手だったけど、そこで楽をするよりはサポートメンバーとして帯同すれば感じることは少なからずある。それにW杯っていうあこがれの大会でもあったので」(香川)
ドルトムント移籍が決まり、個人的にコンディションを整える方法もあった。だが、世界レベルを肌で感じることが次の舞台での糧になる、そう信じた。